環境文化論・飛騨 スクーリング・レポート  稲村弥奈子

【2012年度 環境文化論・飛騨】


環境文化論・飛騨 スクーリング・レポート --- 染色コース 稲村弥奈子



 本講座の受講により初めて飛騨高山へ訪れたが、その中で最も印象に残ったのは地域に根ざして生活することの魅力である。
 2日目の夜、中路先生に連れていただいた「みちや寿司」のご主人や、先生がお話して下さった猟師の方のお話は、初めて聞く内容ばかりで、とても興味深い体験であった。
 私にとって猟師と聞いて連想するのは、スタジオジブリのアニメ『もののけ姫』に登場する地走りである。これまで深く追求したことはなかったものの、猟師とは常に獲物を仕留めることを考えている冷徹なハンターなのだと漠然と認識していた。
 しかし今回、実際に猟師の方のお話を聞いて、これまでの猟師に対するマイナスイメージが完全に払拭された。猟師と寿司職人の2つの顔を持つ「みちや寿司」のご主人は、実直そうな印象で、思い立ったらチャレンジする好奇心と行動力、そして山や海への畏敬の気持ちを抱きながら、真摯に、楽しく毎日を生きておられるように感じた。
 また朝市では、出店されている年配の女性と親しくなった。彼女は非農家出身で旦那様と大恋愛の末、農家へ嫁ぎ、以来五十年以上農業を営んできたという。先代から受け継いだ世界で唯一彼女の家にしかないというアネモネの品種を守り伝えていくのだと語る、その言葉の端々に充実した生活への感謝と誇りが滲んでいた。独自品種創出という高い農業技術を持っておられることに驚きつつ、都会の暮らしをしたいと考えたことはないのかと問えば、「昔は考えたこともあったが、今の生活こそ私が私である証だから田舎暮らしがいい」と、胸を張っておられた。
 私は、お2人との素敵な出会いを経て、飛騨という地域に根ざした生活者たちの魅力を感じずにはいられなかった。都会のように娯楽も刺激もない、何かと不便な田舎で、なぜ彼らはいきいきと充実した生活を送っていけるのか。それは、生きるとは実はとてもシンプルなことだと知っているからではないだろうか。
 これまで私は、人間がすべてにおいて優れた生物だという無意識を、議論の余地もない大前提として生きてきたように思う。それにより、肥大化する自尊心と疲弊する感受性に悩まされつつ、それを認めたくない、誰かに見抜かれたくない一心で、必要以上に自身を誇張してみせていた。飛騨のお2人の生活に触れ、必死に飾り立てて生きる必要などまったくないことに、ようやく確信を持てた。彼らが魅力的なのは、自らの分をわきまえ、あるがままの状態で、自然体に、周囲に寄り添って生活しているからではないか。根ざすとはつまり、分を知るということなのかもしれない。
 私は現在、奈良県農業大学校で農業の勉強をしている。地道な農作業はとても素朴だが、これまでの都会生活以上に刺激的で充実している。シンプルで率直な感性を持った若者達や、経験豊富な人生の先輩方と共に送る学校生活の中で、遅ればせながらようやく必要のない装飾を外し、分を知る覚悟ができそうだ。(1.198字)