京都発見 一箭しのぶ

【2012年度 京都発見】


京都発見 --- ランドスケープデザインコース 一箭しのぶ




(1)はじめに

 「京都」といえば、一番初めにどんなイメージを思い浮かべるだろう?
神社仏閣? 舞妓さん? 町家? 和菓子?
 人によって様々なイメージを思い浮かべるだろうが、私の思い浮かべるイメージは「水」である。
京都の風景、街並みを思い浮かべると、そこにはいつも「水」があるように思う。「水」は川を流れる水だけでなく、井戸水や、露地を濡らす打ち水、庭園の湿気など、かたちを変えていつも京都の街を包んでいるような気がする。
 そんなわけで、「水」のかかわる場所を巡ってみた。

(2)体験報告
【一日目】
①琵琶湖疎水記念館
 京都の資源としての水「琵琶湖疎水」の竣工100周年を記念して平成8年に開館した施設で、疏水に関する資料が展示されている。
 琵琶湖疏水は、明治維新による東京遷都により衰退した京都に活力を呼び戻すために計画された。琵琶湖の水を引き、水力発電を行い、電車を走らせ、新しい工場ができ、船での流通が盛んになるなどして京都の活力を取り戻した。第二工事の際には水道と市営電車を開業し、今日の京都のまちづくりの基礎が出来上がった。京都にとっての琵琶湖疏水は、明治から現代にいたるまでの「命の水」なのである。
 館内の資料もさることながら、私の一番のお勧めは施設の目の前を流れる本物の琵琶湖疏水である。訪れた当日は激しい雨で水かさが増して、轟々と濁流となって流れる様子を目の当たりにし、「なるほど、こりゃ電気も作れれば、街も栄えるわ!」と納得し、そのパワーに圧倒された。
 それと同時に京都人の「奈良の二の舞になってたまるか!」という凄まじい執念のような思いも感じ取ることができた。

  写真1
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  疏水記念館から動物園方面を撮影

  写真2
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  疏水記念館B1テラスより撮影


②無燐庵
 無燐庵は明治時代に山県有朋が京都に造営した別荘である。
その大半を占める庭園は山県自らの設計・監修により、京都を代表する造園家・7代目小川治兵衛が作庭したもので、ゆるやかな傾斜地に東山を借景とし、疏水の水を取り入れ、三段の滝、池、芝生を配した池泉回遊式庭園である。
 疏水の水は、ダイナミックな滝から、なだらかな池になり、薄暗い渓流のようなカーブを経て小川となり、深みのある森の奥に流れていく…といったイメージで様々な表情を見せる、まさに疏水あっての庭園だ。
 当時、疏水の水を庭に引き入れることを考えついた山県有朋は本当に優れたアイディアと美的センスの持ち主だと思えてならない。

  写真3
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  無燐庵庭園入ってすぐの流れを撮影 

  写真4
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  無燐庵母屋から東山方向を撮影

  
③並河靖之七宝記念館
 明治から大正期にかけて活躍した、日本を代表する七宝家並河靖之の自宅兼工房が並河靖之七宝記念館である。白川のせせらぎの手前に建つ古い家で、庭園は隣同士で親しかった7代目小川治兵衛が作庭した。七宝の研磨のために引いた疏水を池にも引き込み、狭いながらも無燐庵とは違った個性的な雰囲気の、躍動感あふれる庭園だ。
 初めは、七宝には興味がなく、庭が観たくて訪れたのだが、並河靖之の作品を目の当たりにして衝撃を受けた。今まで私が目にしてきた七宝とは全く違った、美しく、繊細なものばかりで、一瞬にして心奪われてしまった。このような美しい作品が生まれたのも疏水の水があってこそ。京都の文化を育む疏水のすばらしさに感動した。
 
高瀬川
 高瀬川安土桃山時代末期の慶長年間に開削された運河で、ここから伏見の港までをいわゆる「高瀬舟」が往来し物資を運搬した。航行する船は船底の浅い平らな、幅のある浅川用のものを利用し、流れが急で水深が浅いため棹は用いず、綱で舟を引き上げたといわれる。
 高瀬川起点には一之舟入跡が残され高瀬舟が展示されている。このような舟入

 二条から四条の間に七ヶ所あったが埋め立てられ今は無いらしい。また、高瀬川の始まりの水を引き込んで造られた、旧角倉了以邸(現・がんこ高瀬川二条苑)の庭園も見ものである。この水はこの庭に引きこまれたのち、木屋町通り沿いを南下し、繁華街を貫いて流れてゆく。今では京都を代表する風景の一つとなっている。

  写真5
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  木屋町通から一之舟入跡を撮影

  写真6
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  旧角倉了以邸庭園・隣のビルから撮影

    
⑤キンシ正宗・桃の井
 キンシ正宗堀野記念館中庭からコンコンと湧き出る名水「桃の井」。キンシ正宗の造り酒屋としての礎を築き、淡麗な切れ味を持つ数々の名酒を生み出してきた「命の水」だ。京都の食文化はこのような井戸水(地下水)が育んでいる。

⑥錦天満宮錦市場・錦の水
 錦天満宮は、京都の台所として知られる錦市場の東の端にあり、商売繁盛の御利益がある神社だ。その神社の一角にある井戸が「錦の水」だ。
 この水は錦市場が誕生したきっかけでもある。平安時代の頃からこの一帯は地下水に恵まれ、魚・鳥などを保存するのに適していると、魚店が自然発生的に集まるようになったのが錦市場の始まりだそうだ。
 今日も活気あふれる錦市場は、この「錦の水」に支えられている。

  写真7
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  錦天満宮入り口を撮影

  写真8
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  錦の水



【二日目】
①換骨堂・蓮華水
 真如堂の北東にある尼寺・換骨堂は号を東向山蓮華院といい、その中にある井戸が「蓮華水」だ。戒算上人が本堂建立中に蓮華童子の教示によって発掘されたと伝えられている。その功徳により火災が起きなかったといわれている。そのため「功徳水」ともいわれている。
 昨日とは打って変わって日差しが強く、汗だくになりながら道に迷い、急な坂道を上ってやっとたどり着くことができた。地元の方に教えていただいた階段を登ると、本堂の裏手に出ることができた。辺りは鬱蒼としていて涼しく、何とも言えない良い香りが立ち込めていた。菩提樹の花が満開だったのだ。
 わりと朝早かったのにもかかわらず、多くの地元の方が訪れていた。
 
下鴨神社・御手洗の水
 「下鴨神社」、正式名称「賀茂御祖神社」は「上賀茂神社」と共に「賀茂社」と呼ばれ世界遺産に登録される、京都最古の神社とされている。その「下鴨神社」の末社「御手洗社」は、井戸の上に建立されていて「井上社」とも呼ばれている。「御手洗社」には罪や穢れを祓い除くという瀬織津比売命が祀られており、御手洗池に足を浸して心身を清め、御神水を飲んで穢れを祓うと病気に罹らず延命長寿になると言い伝えられている。おなじみの和菓子「みたらし団子」は「御手洗社」前の「みたらしの池」に湧く「水のあぶく」を人の形に摸したお菓子が発祥だそうだ。
また、下賀茂神社の境内に広がる原生林「糺の森」には4つの小川が流れていて、それぞれ御手洗川・泉川・奈良の小川・瀬見の小川と名付けられている。古くから親しまれているこの小川では、様々な和歌が詠まれている。
 薄暗い森の中を、やさしく、さらさらと流れる小川を見ていると、心洗われるような気持ちになる。

  写真9
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  下賀茂神社内御手洗社

  写真10
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  下賀茂神社内「糺の森」の小川(どの小川かは不明)



出町ふたば(和菓子屋)
 下鴨神社から京都御苑に向かう途中、偶然、豆餅で有名な和菓子屋「出町ふたば」を見つけた。超人気店だけあって、2重の行列ができていた。食いしん坊の私はまんまと行列に加わり、順番を待っていた。夏のお菓子として「くずまんじゅう」と「みぞれもち」が店頭に並んでいた。どちらも「天然水使用」となっていたので、京都の地下水を使用しているのかと思いきや、実は違うらしい。せっかく京都の老舗なのだから、京都の水を使用してほしかったと、思いながらもしっかり購入し、先を急ぐ。

京都御苑・梨木神社・染井
 京都の三名水(醒ヶ井、県井、染井)のひとつである「染井の井戸」が神社の境内にある。この井戸はかつて文徳天皇の皇后明子の方の里御所の跡にあったもので、宮中御用の染所の水として染井の水が用いられたという由緒がある。
 甘くまろやかな味で茶の湯にも適し、今も京の名水として知られていて、私が訪れた日も、たくさんの人が水を汲みに来ていた。
 
(3)発見したこと
 二日間を通して、京都の「水」をテーマに巡ってみたが、「水」の中にも2種類の「水」があることを発見した。
 ひとつは「生活のための水」、もうひとつは「神聖な清めの水」である。
「生活のための水」は京都の衣食住すべてを支える、なくてはならないもので、現在の京都の文化は疏水の水や、鴨川の水、各地から湧き出る井戸水によって育まれたものだといっても過言ではないと思われる。まさに京都の「命の水」だ。
 もうひとつの「神聖な清めの水」は、京都の神社仏閣で受け継がれる由緒ある「水」で、古くからさまざまな神事を行い、罪や穢れをはらい、無謀息災を祈るなど、人々がそれぞれの思いを託した「心の水」のように思われる。
 その二つの水に守られているからこそ、京都の街は、いつまでも、瑞々しく、世界中の人々の心を魅了してやまないのかもしれない。

(4)おわりに
 今回は限られた時間で、急ぎ足で各地を巡ったが、どの場所も大変魅力的で、興味深く、中には、今まで何度も訪れているのに、また新たな発見をした場所もあった。
 京都は、知れば知るほど面白い。
今回は「水」をテーマに巡ったが、今度は「水に関する神事や伝説」などを調べてみたいと思う。二日目のグループワークの際に中路先生の「お話」をきいて、恐ろしくなったと同時に興味がわいてきた。なぜ、古くから人は、「水」に想いを託すのだろう、と。
今後の課題である。