雪国の春 --- 陶芸コース 江口晴美

[2013年度東北地域学 第一課題レポート]

雪国の春 --- 陶芸コース 江口晴美



  「雪国の春」(柳田国男著 角川文庫 昭和46年5月30日 改版初版発行)を読んだ。
  読後、次の二点に関心を持った。 その一つは、柳田国男は毎年のようにどこかの村里を歩き、「海南小記」と「雪国の春」の二冊の紀行を残した。この二冊を通し、北と南と日本の両端の違った生活を並べてみようとした動機が、個人の物ずきではなく、国の結合の憂いにあり、それを気軽な紀行風に取扱い、この方面に本が乏しく、あっても高い所から見たようなものばかりであると考え、出でて実験についたことである。もう一つは、身近な正月行事の事例を通し、雪国の生活文化、人々の人情、感情を描写し、雪国の将来を若い女性の手に委ねると考えていたことである。「幸いにして家の中には明るい囲炉裏の火があり、その火のまわりにはまた物語と追憶とがあった。何もせぬ日の大いる活動は、おそらく主として過去の異常なる印象と興奮との叙述であり、また解説であったろうと思う。すなわち冬籠りする家々には、古い美しい感情が保存せられ培養せられて、つぎつぎの代の平和と親密とに寄与していたのである。その伝統がゆくゆく絶えてしまうであろうか。はたまた永く語りえぬ幸福として続くかは、結局は雪国に住む若い女性の、学問の方向によって決定せられ、彼らの感情の流れ方がこれを左右するであろう」(同書25ページ)。


  2011年3月の東日本大震災後、主人と二人で、昨年10月に岩手県、今年6月に福島県を訪れた。大震災後の現状と復興が気になり、現地の人々と少しでも気持ちが共有できればとの思いで旅をした。 
  岩手では、元会社の同僚が遠野市でBBスタイル(ベッドと朝食のみ)の民宿を経営し、ボランティア活動の人々の宿泊受け入れのために多忙であった。彼の車で釜石市、大槌市の港まで案内してもらい、被災地の現状を見て回った。
  復興に向けて『復興食堂』を運営する青年たちと出会い、話をするなかで復興にかける彼らの情熱がひしひしと伝わってきた。被災地の現状は復興の兆しが見えない。厳しい寒い冬を迎えるに当たり、彼らの決意と具体的な行動に粘り強さ・我慢強さをその動きや言葉の中に見ることができた。これからの東北の再建と発展を祈らずにはいられなかった。

 
  福島では、6月に東北6県の鎮魂祭りが郡山市で行われると知り主人と出かけた。大震災後の東北6県の復興を込めて、各県の代表祭りが一同に会した。秋田の笠燈まつりの時、強い風が吹き、燈明が風にあおられ、倒れる場面があった。演技者は必至に再度立て直しに挑戦した。沿道からものすごい拍手が湧きあがった。 東北が一つになった瞬間であった。ねぶた祭り等、各県の伝統ある祭り見ながら、各県の復興にかける思い・情熱が参加者の姿をとうし、その熱い気持ちが伝わってきた。ブルーインパルスが上空を飛行し、空中に復興への象徴として6つの輪を描いた時、沿道ではどよめきが起きた。復興への思いが沿道の一人一人の心に刻みこまれたに違いない。個人的には、復興支援の力はないが、東北2県を旅行し、現実の場面を、自分の足で歩き、自分の目で見て、自分で体験することの大切さを痛切に感じた。郷土の伝統・文化が精神的にどん底へ落ちた人間の情感に蘇生へのエネルギーを与える大きさも改めて知らされた。柳田国男が長い年月をかけて村里に入り、人々の身近な生活を見て、話をしたり、聞いたり行動を起こした。その行動の中に日本の将来を憂い、国民意識の結合を見出そうとした視点や洞察力に驚いた。

 
  囲炉裏について、「家の中には明るい囲炉裏の火があり、その火のまわりにはまた物語と追憶とがあった」(同書25ページ)、「人間が家を持ち家族というものを引きまとめえたのは、火の発見の結果といってよろしい。光と温度と食物との一大中心として、囲炉裏というものがもしなかったならば、とうてい今観るような家庭および社会はできあがらなかったろう」(同書56ページ)と柳田が指摘している。私が子供の頃、家が狭くなったため囲炉裏は炬燵に変わった。冬の寒い時など暖を取るために家族全員が集まる場所といえば炬燵であった。家族みんなでよく話をした。両親から先祖のこと、故郷のこと、将来のこと、勉強のこと、戦争のことなど、よく聞かされた。今思うと、炬燵はその暖かさ故に家族を引き寄せ、家族の歴史が語られた場でもあった。私は炬燵の中で本を読んだり、あまりの暖かさで寝入ることがしばしばであった。家族全員が自分の足を炬燵の狭い空間に入れ、和気あいあいと談笑できた時間は、家族の絆を強くした時間であった。現在、我が家では掘り炬燵がある。お客様をお招きする時以外は、めったに使わない。エアコンのお陰で使う必要がなくなったのである。冷暖房が各部屋に取り付けられ、子どもたちには個室が与えられるようになった。生活は物質的には豊かになったが、精神的な絆は薄らいできたように思う。我が家では、家族全員が集まって近況を聞いたり、話したりする場所は夕食の食卓へと変わった。 会社勤めしていた頃、母に協力してもらいながら子育てをしていた私にとって、この夕食の時間は子ども達と心の交流ができる唯一の時間であった。土曜・日曜の食事は必ず手料理を子どもたちに食べさせると決め、子どもたちの好きな料理や栄養バランスを考えた料理を中心につくって食べさせた。短い時間ではあるが、子どもたちと「心と心を通わせる」唯一の時間が食事の時間であった。食卓テーブルを囲み、三世代の家族が安心して、くつろいだ雰囲気の中で食事ができることは、親から子へと続く家族の絆が受け継がれる大切な場になるのではなかろうか。                   
 

  雪国の将来について、柳田国男は「結局は雪国に住む若い女性の、学問の方向によって決定せられ、彼らの感情の流れ方がこれを左右するであろう」(本書25ページ)と指摘した。この指摘は、雪国の将来だけではなく、日本や世界の国々の将来を左右する指摘でもある。私がある出版社に勤務し始めた1970年代頃、アメリカでウーマンリブ運動がおこった。女性の大学進学率が向上し、女性も男性と同じように働き、各分野に女性の社会進出が顕著となった。女性の意識に変化が現れ始めた。1986年に男女雇用機会均等法が施行され、1992年には育児休業制度が施行され、法整備も少しずつ進んだ。こうした大きな流れは現実的にはなかなか理解されなかった。日本の企業は女性従業社員に対して、コピーやお茶汲みなどの雑務をまかせ、寿退社までの腰掛的存在でしかなかった。この労働環境下で、私は男性と同じように夜遅くまで残業し、それから接待、タクシーで朝帰りすることもしばしばであった。「会社を良くしたい」という思いはなかなか会社に理解されず、「残業代稼ぎ」とか「女のくせに」などと陰口を言われた事が悔しかった。柳田が「若い女性の学問、感情が雪国の将来を左右する」と考えた視点は素晴らしい。東北を歩き回り、現実の生活の中に、女性の可能性を見出し、将来を期待したことは評価したい。
  これからの時代に大切なことは、「自分の足で、自分の目をとおして、そして行動する」「食育をとおして、家族の絆、生活文化を受け継ぐ」「教育をとおして、生きる知恵をつける」ことであると考える。 インターネットで簡単に必要な情報は手に入れる事はできるが、それを使いこなす知恵がなければ不幸である。氾濫する情報にまどわされないためにも、生活に根ざし、自然と共生しながら、自分の五感を磨くことが重要になってくるだろう。
  そのためにはこれからの時代は「食卓テーブル」をキーワードに提唱したい。柳田が見た囲炉裏は、これからの時代は「食卓テーブル」ではないか。家族が、友人・知人が、同僚が集まり、趣味、仕事、将来、夢等を語る場が「食卓テーブル」である。食事を楽しみながら、親から子、孫へ、現在から未来へと伝統・文化は受け継がれることを期待したい。