ヘルダーリンの詩に関して―「人生の半ば」を中心に― 芸術学コース 加藤綾

【2014年度「詩と音楽への案内」レポート】

ヘルダーリンの詩に関して―「人生の半ば」を中心に― 芸術学コース 加藤綾


1.はじめに
 詩はその性質上、作者固有の私的な心情が多分に投影され、一篇のうちに作者の生そのものが凝縮している。そのため、文学のなかでも解釈が困難な分野なのかもしれない。とくに外国語の詩の場合、もちろん巧みな邦訳が存在するものの、おそらく詩自体が翻訳を拒んでいる。しかし一方で、すぐれた作品ほど、さまざまな解釈を容認するのだろう。
 わたしが『ヘルダーリン詩集』を通読して、最も感慨深く思った詩は、「人生の半ば」だった。とくに理由はない。ただ漠然とである。だが、この詩の美しさはどこからくるのだろう、ヘルダーリンはどのような意味を込め、なにを伝えたかったのだろうか。誤読を避けるためにも、まず「人生の半ば」が成立した背景を確かめ、ついで原文と照らし合わせつつ、この詩を読み進めてみよう。

2.ヘルダーリンの詩作における「人生の半ば」の位置付け
 フリードリヒ・ヘルダーリンは1770年、南ドイツの長閑な小村、ラウフェンに生まれた。若い頃からギリシャの古典文学に親しみ、またシュトゥルム・ウント・ドラング、続くドイツロマン主義の活発な流れのなかで、シェリングヘーゲル、とりわけシラーから大いに影響を受け、豊かな詩の才覚を現していった。
そしてヘルダーリンの生涯で重要な位置を占めるのが、ズゼッテとの関係である。1795年、彼は家庭教師としてゴンタルト家へ赴き夫人のズゼッテと出会う。ヘルダーリンのズゼッテに寄せる愛慕はやがてディオティーマの名のもとに昇華し、小説『ヒュペーリオン』をはじめ、いくつかの詩において至高の理想像として描写された。
 「人生の半ば」は、そのズゼッテとの死別を経て書かれた作品で、「夜の歌」と題された九篇からなる詩群の一つである。ズゼッテが逝去した同年の1802年ヘルダーリン32歳の作だが、この前後から彼の精神の衰弱が顕著になってくる。「人生の半ば」の前年に書かれた「ライン」や「ゲルマニア」といった堂々たる長篇とは対照的に、「人生の半ば」では、なにか切実な悲哀が感じられるのも当然のことかもしれない。のち、ヘルダーリンは精神的困窮が募り、彼の良き理解者であったツィンマーの庇護下で40年近い歳月を過ごし、薄明のなか1843年にその生涯を終えた。

3.「人生の半ば」読解
 では、「人生の半ば」を読んでいこう。まず、題名の「人生の半ば」が意味するものは何なのか。原題はHälfte des Lebensで、手塚富雄氏の訳では「生のなかば」となっている。いずれにせよ、この世に生命を得て死に至るまでの中間点、過去と未来を持った現在のあるひとつの状態と解することができるだろう。もちろん、中間点と定めるところは人それぞれだと思われるが、ヘルダーリンの当時の心境を推測して考えるなら、むしろ自身のきた道、ゆく末を憂慮し、定まらぬ中間点を探るかのようでもある。しかし、決して人生の終盤や最期ではなく、「半ば」とするところにヘルダーリンの特質があり、きわめて粋な題名ではないだろうか。
 詩の本文へ移ると、最初の三行は、

  黄色い梨の実を実らせ 
  また野茨をいっぱいに咲かせ 
  土地は湖の方に傾く。

だが、黄色い梨や野茨が咲き満ちるという言葉は、自然が成熟する季節、十分に深まった秋のような情景を思わせる。気になるのは「土地は湖の方に傾く」という表現である。手塚氏の訳では「陸は湖に陥ちる」、または「野は湖に入る」となり、原文はDas Land in den Seeで、動詞のhängetは最初の一行の末に倒置されている。では、土地が湖に傾くとはどのような意味なのだろう。土地が豊饒な季節を抱えて、湖水を湛えたより深い窪地へ傾倒してゆく時空間の移行とも解釈できるのかもしれない。それは読み手に静かな思索を促し、そしてまた次に続く白鳥の情景への導入としても文学的に秀逸な一文となっている。
 つぎの四行では、束の間の夢見心地な間奏曲さながら、典雅な白鳥の動作が描写される。
Schwäneと複数形なので、たくさんの白鳥か、あるいはつがいの白鳥だろうか。この四行のなかでも、最後のheilignüchterne Wasserという表現が美しい。「聖なる静かな」という意味がheilignüchterneの一語に集約され、詩全体に強度を与えている。この白鳥のありさまは、詩人にとっての理想的な境地を表しているといえるだろう。
 第二節に入ると一転、現実に引き戻されるように寂寞とした冬の情景が展開される。第一節の生命感に富んだ表現との明白な対比が感じられ、また実り豊かな季節から冬への時の経過がうかがえる。
 この第二節で注目されるのは、親密な自然が消失していることである。はじめの四行の原文を引いてみよう。

  Weh mir, wo nehm ich, wenn
  Es Winter ist, die Blumen, und wo
  Den Sonnenschein
  Und Schatten der Erde?

冬が訪れたなら、もはや花々を摘む場所も輝く陽光も身近に存在しない。そしてせめてもの願いとして地に落ちる影、つまり光のかすかな気配を求める心情は、非常に痛々しい。おそらく、四行目の最初のUndが三行目とのあいだに間をもたらし、悲痛感を一層喚起させる要因になっているのかもしれない。
 最後の三行では、感情表現は抑えられ、事物の様子が淡々と描写されている。生命が登場することはなく、あるのは壁や風見といった無機的な人工物で、冷たい風が風見を鳴らす。詩人が悲しみを超えて、ただそこにある事実を遠望しているかのようである。どこか、一挺のバイオリンが奏でる、繊細なビブラートの震えを感じる。

4.詩と音声について
 「人生の半ば」をより良く理解するために、ひとつの手がかりとして、詩と朗読の関係を考えてみよう。
 詩を読むということは、言葉の連なりを追いながら解釈を深めていく行為だろう。しかし、詩を朗読することと黙読することには、どのような差異があるのか。おそらく朗読することにより言葉の意味はもとより、音楽性や響き(Ton)がより鮮明になり、時間芸術としての詩の性質が際立ってくるのだろう。
ガダマーは『詩と対話』のなかでゲオルゲヘルダーリンを比較し、ゲオルゲの詩はグレゴリオ聖歌のような典礼的な響きがあるのに対し、ヘルダーリンの詩の響きは、あたかも瞑想するように自分自身の前で「語り放す」(Hinsagen)という特徴があると述べている (1)。たしかに、ヘルダーリンの詩は大勢の前で声高に朗唱するというよりは、一対一の内密な対話を望んでいる。とりわけ「人生の半ば」は、個人的な感想だが、音楽用語でいうsotto voce(ささやくような声で)の曲想を思わせる。実際に、Bruno Ganz氏の朗読によるヘルダーリンの詩を聴くと、落ち着いた声の抑揚やドイツ語特有の音の響きとリズム、間の取り方などが印象的で、ヘルダーリンの心に少し近づくことができる気がした。

5.おわりに
 今回、「人生の半ば」というヘルダーリンが自身の病的な徴候に苦しんでいた時期の作品を取り上げたが、今なお多くの人々の共感を誘う作品だろう。sympathyの原義は、「苦しみを共有する」ことである。けれども、ヘルダーリンは生来の明朗さと貴族的な悠長さを持ち併せていた。生涯に渡り、ピアノやフルートの演奏を楽しんでいたという。
 ちなみに、作曲家のシューマンは最後のピアノ曲として《暁の歌》作品133を作曲したが、当初はヘルダーリンとディオティーマを想定していたらしい (2)。その後シューマンは自殺を図り、やがて衰弱死するけれど、同じくディオティーマに魅せられた事実が興味深い。
 なお「人生の半ば」を再読して、またひとつ気付いたのは、生命の循環が描写されていることである。実りの季節が過ぎゆき、長い冬のただなかにいる。しかし春は必ず訪れ、生命がまた一斉に芽生える。中間部のエレガンスな白鳥の情景に、一方で儚さが感じられるのも、いつしかまさに「白鳥の歌」を残して死にゆく存在だからだろう。生命の生と死が連鎖するその半ばにいるということは、自己の存在意識を高め、未来を展望する権利を得ることにもなるのかもしれない。 

                                   (3,141字)


(1)ガダマー『詩と対話』、57-58頁参照。
(2)シューマン《暁の歌》、ヘンレ版楽譜の序文参照。


参考文献
ヘルダーリン詩集』川村二郎訳、岩波書店、2002年
Friedrich Hölderlin,Gedichte,Stuttgart,Philipp Reclam jun,2003
『世界名詩集6 ゲーテ ヘルダーリン平凡社、1968年
手塚富雄著作集』第1、2巻、中央公論社、1981年
H.-G.ガダマー『詩と対話』巻田悦郎訳、法政大学出版局、2001年
ヘルダーリン『ヒュペーリオン』青木誠之訳、筑摩書房、2010年


参考資料:課題テキスト(川村二郎訳、岩波文庫、2002年)より。
引用責任:当ブログサイト運営者、中路正恒

 人生の半ば

黄色い梨の実を実らせ
また野茨をいっぱいに咲かせ
土地は湖の方に傾く。
やさしい白鳥よ
接吻に恍(ほう)け
お前らは頭をくぐらせる
貴くも冷やかな水の中に。

悲しいかな 時は冬
どこに花を探そう
陽の光を
地に落ちる影を?
壁は無言のまま
寒々と立ち 風の中に
風見はからからと鳴る。