花巻 私という現象は

【2011年度環境文化論・花巻】

花巻 私という現象は  染織コース 篠田秀子


はじめに

 私という現象は、どこからきてどこまでいくのだろう、そのような想いに答えを見つけようとするとき、50年余りのこれまでの人生の道中、度々何度も宮沢賢治の作品との出会いがあった。
 今回の花巻行をきっかけにさらに宮沢賢治の作品を改めて読み返し、また新しく読んだ。イギリス海岸北上川ほとりに降りてその水にさわり、青いクルミの実を拾い、7月の木々を揺らす風の音を聞き、賢治誕生の産湯の井戸の水をくみ、ぐるりと花巻を囲む山並みを確認した。小岩井農場から帰るバスの中からようやく姿を現した岩手山の姿をずっと追いかけた。岩手県イーハトーヴォの空気を呼吸して、賢治の世界に今までよりも少しは深く親しむことができるようになったであろうか。いったい私にとっての賢治はどこにそんなにも魅力を持っているのか、今回の花巻での学習と体験をもとに、度々もらっては私の中で保ち持ち続けている宮沢賢治からの大切な宝物を今一度確かめてみたいと思う。

(1)方言の響きの魅力、文章表現の色彩の豊かさとリズムの心地良さ
 「あめゆじゆとてちてけんじや」などの方言を活字で見て読み、そして声に出して読んでみるときのその言葉の響きのふしぎさになんともいえず魅力を感じていた。賢治の方言は実はオリジナルでもあるとのお話があったが、今回「高原から」の朗読を聞かせていただく機会を得たことで私の中にまた新しい景色が広がった。強風に吹かれる稜線から遠くの景色を眺め感動したその瞬間が、幾たびも幾たびも心に刻まれていることを思い返す。

「海だべかど おら おもたれば
 やっぱり光る山だたじゃぃ
 ホウ
 かみげ 風ふけば
 鹿踊りだじゃぃ」

「風とゆききし雲からエネルギーをとれ」(1) のフレーズがうかぶ。私は20~30代の15年ほどの間、休日のすべてを山に通う生活をしていたので自然との交流の表現が心に体にぐっと触れてくるのだ。それは夜の山道を星空のもと一人で登っているときや、月明かりで雪の稜線を歩いているとき、恐ろしいほどの青い空を見上げたり、本当に降ってきそうで怖いくらいの満天の星空を眺めているときに感じたことなどが賢治の文章で蘇り、清々しいような新しいような気持ちになるからだと思う。夕暮れ時に雪も空も霧もみんな薄紫色の世界に包まれた事や、朝夕の光の色の移ろい、ダイヤモンドダストブロッケン現象などなどの体験が、童話や心象スケッチのそこここにいろいろに表現を変えては現れる自然描写によって思い出され、気持ち良いのだと思う。38年間のしかも病弱な体の生涯にしては膨大な作品を残している賢治は、26歳のころには一日100枚の原稿用紙を書いていたという。ひと月3000枚。そこにはたくさんの動植物の名、鳥の名、樹木、宝石、岩石、化学現象の名前がでてくる。それらの名はどれも私にはなぜか親しみ深くあるようでいつも見ていたのに意識にとどまらなかったりしていたものが思い出されるような気持になる。確かに私は経験しているのだが忘れていることを思い出す。同じ情景、空気を知っているかもしれないと思う。意味が分からなくてもわかっても心持ちがほっかりするのだ。
 「ほうっ、ほほうというのはね、賢治先生の専売特許の感嘆詞でしたよ。どこでもかまわず、とつぜん声を出して飛び上がるんです。くるくるまわりながら、あしばたばたさせて、はねまわりながら叫ぶんです。」(2) とは教え子の回想。「いつも首にペンシルぶら下げていて、とつぜん天から電波でもはいったようにさっさっと、生徒取り残して前の方にかけていくのですよ。そうして「ほっほうっ」と叫ぶんですよ。叫んで身体をこまのように空中回転させて、すばやくポケットから手帳を取り出して何かものすごいスピードで書くのですよ。」「喜びがわいてくると、細胞がどうしようもなくなって体が軽くなってもうすぐとんでいっちまいそうになるのですね」
 四季折々の山を駆け巡っているきには、私にも体中の細胞が喜んで、心が爆発しそうな感動を何度も何度も味わうのだけれどそれをうまく表現できないもどかしさがいつもある。それで色彩豊かな新しい言葉で自然現象や花や木々の様子をスケッチしてくれる人に出会えてうれしくなるのだと思う。
 
(2)銀河系を意識すること
 賢治の童話は豊富な科学的知識と慈悲の思想をもとに書かれている、というところにも惹かれる。私と同世代の友人には祖父母から『銀河鉄道の夜』(3) (岩波の子供向け推薦図書ハードカバー)をプレゼントされたという者が何人もいた。高校の文化祭で影絵人形劇を上映しようと考えたのも同じ本を何人も持っていたからのように記憶する。この子供向け推薦図書にはセロのような声が聞こえてくる第3次稿が挿入してあった。(4) さらにおまけもついて目覚めた後の第4次稿の終わりの部分、ジョバンニは町の方に走ってからまたもとの丘の上に上って星めぐりのうたにうっとり聞き入るところまでが入って終わっている。
 「銀河鉄道の夜」は最後の最後、死の間際まで原稿を枕元において推敲を重ねていたという。第4次稿では削除された部分が少年向きには復活して載せられていたのだった。それでセロのような声で「…そしてみんながカンパネルラだ」というセリフの部分を心を込めて上映したような気がする。「あらゆる人のいちばんの幸福をさがし」…「もう信仰も化学と同じようになる」と。「ぽかっと光ってしいんとなくなって…だんだん早くなって」という春と修羅に登場する私という現象、有機、因果交流電燈のようなセリフを当時はどのくらい理解して上映していたものだろうか。
 高校生の時には高校生なりにやみくもに「あらゆるひとのほんとうのいちばんの幸福」を求めていた。それから30年以上たった今も思い返せばずっと日々求め続けている。そのころからくらべればたくさんの山にのぼりずっとおだやかに静かに求められるように少しずつではあるが進化してきていると思う。この何度も推敲を重ねた童話の核心は賢治からうけとった最初の宝物であったのかと思う。
 大震災当日3月11日の夜空は満天の星空、街から明かりが消え当地の夜空の美しさはひときわだったであろう。大勢の人が一度に訪れたら銀河ステーションは混雑しているだろうか、みんな水晶の河原の美しさに目を奪われながら無邪気に遊ぶことができただろうかと祈っていた。「みんな限りない命です」(5) とは私も思っている。そして「みんなひとつの命」で「みんなむかしからの兄弟」(6) であるとも。というよりはひとつのところからきていつでもそこに戻れるということだろうか。「じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分でそれをわたくしが感ずることは水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ」(7) と。たぶん賢治がみなにぜひ伝えたいと思って表現していることは仏教の世界観に科学的知識が加わったもので、それは私が後に学んだヴェーダの知識にも同じような世界観を見つけることができる。宇宙と個別生命は呼応しているということ。様々な体験の積み重なりからあるとき私のからだにはストンと腑に落ちた、というようなことでしか言えないが、たぶんそれはそうだろうと感じている。いつか化学が、科学が、遺伝子情報や量子力学の分野などの研究がさらに進むことで証明することができるようになるだろうと思っている。
 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という農民芸術概論、そして「春と修羅」に出会い、「生徒諸君に寄せる」等に感激し、その中のいくつかの言葉をスケッチブックに書き写しては時々思い出しては眺め、それに類する古今東西の先人の教えを様々書き足しては折に触れ読み返して生きてきた。今回改めて銀河鉄道の夜を読んでみたらそれら先人たちの伝えたいことのエッセンスがちりばめられているようにも思えた。第4次稿ではセロの声が全面削除されたのもなんとなく頷ける。説明的すぎると思ったのだろうか。私には小、中学生でセロの声に出会えてよかったと思える。それがいずれヴェーダとの出会いにもつながり、今幸福な私、あらゆるひとのほんとうの幸福を願う私が幸福に存在することができている。あらゆることに感謝したい気持ちでいっぱいになる。
 「罪やかなしみでさえ、そこでは清くきれいにかがやいている」イーハトーヴォのように辛いできごとや別れや喪失にも感謝の念が湧く。

終わりに
 宮澤賢治の世界は、銀河の彼方に思いを馳せるほどに広く、またいのちのあり方について他の命を食べて生きる切なさに心痛める、と深いので何度も読みかえしてもいろいろに考えることが湧き出してきて楽しい。広がりすぎて、深すぎてどこまでも行けそうな感覚がまた心地よい。今回の花巻行では賢治と宮澤マキ、父親への反抗などについて考えるきっかけを得たが、いろいろ再度読んだり調べてみるにつけても、皆から見れば賢治はそうとうの変り者でやっぱり今まで想像していた以上にきっと、誰から(親から)見ても天才だったのだろうなあという印象を強くした。

 「ああ誰か来てわたくしに言え 
 億の巨匠が並んで生まれ
 しかも互いに相犯さない 
 明るい世界は必ず来ると」 (8)

 賢治はきっとはるか遠くまで、そしてたぶん「向こうの世界」もときどきのぞいて見ていた人だと思う。「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してそれに応じていくことである」(9) そのほんとうの核心になかなかたどりつけないが、これからも賢治の作品を読み続けることで今生ではどこまでいけるものか、楽しみに生きていきたいと思う。気層のひかりの底をゆききするみずからの修羅を意識しつつ。

 震災後、「かなしみをちからに」という齋藤孝編集の宮澤賢治のことば集が出版された。抜き出した言葉の断片であってもまとまって読むと凄くエネルギーを感じ力づけられた。



(1) 「農民芸術概論」
(2) 畑山 博 『教師 宮沢賢治のしごと』 小学館 1988初版 1989第6刷107頁
(3) 宮沢賢治 『銀河越道の夜』岩波書店 1963年第1刷 1986年第25刷
(4) 宮沢賢治全集7 ちくま文庫 1985年 553頁v.   
(5) 「めくらぶどうと虹」
(6) 「青森挽夏」
(7) 「種山ケ原」
(8) 「業の花びら」異稿
(9) 「農民芸術概論」