第2課題:『音楽の根源にあるもの』 文芸コース 小野愛子

【2010年度 「詩と音楽への案内」第二課題レポート】

第2課題:『音楽の根源にあるもの』  文芸コース 小野愛



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> 立派な演奏家がいいスコアでもって上演しても、とてもドラマを見ているという感じじゃなくて、ただ発声法を聞いているような、ヨーロッパの練習曲をやっているような感じで、ちっともストーリーや生活感情と合っていないのです。その原因を考えているうちに母音にあることに気がついてきたのです。それはどうしてかといいますと、ドイツ語やなんかですと母音の「あ・い・う・え・お」とかがそれほどはっきりしていなくても、子音の力が非常に強いですから言葉がある程度わかるのです。ところが日本語は母音がはっきりしなかったときには何を言っているかわからなくなってしまうのですね。よく似た言葉がたくさんありますから。しかもアクセントが日本語の場合は関西と関東と反対になったりしますから、アクセントが決め手にはならないのです。
> とにかく発声法を西洋の発声法のようにやりますと、母音の違いが非常に出にくい。日本の民族的な発声法でやると、母音が非常にはっきりと区別がつくわけです。西洋のような発声法で、つまり音楽学校を卒業したような声楽家がひとたび日本語でもってうたうと結局それは全部日本語じゃなくなっちゃうのです。伝統的な感情を何にもあらわせなくなってしまう。だから、どんなに努力してもどんなに一所懸命やっても、立派な演奏家を連れてきても、結局日本語のオペラは西洋のオペラの真似をしている以上、あるいは西洋の楽器を伴奏として洋楽家が演じている間は、結局、本物のオペラにならないという結論になっちゃったのです。
小泉文夫『音楽の根源にあるもの』)
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 西洋音楽を学んだ歌い手は、自らの体を楽器にして歌う。特に重要なのは、横隔膜を使うことであり、キーが高くなればなるほどこれを下げなければならない。同時に、口の開け方も縦に大きく開ける。日本語で「あ」もしくは「お」と発声する時の口の開け方をしながら、すべての母音を網羅して歌うのである。そのため、左右横長に口を開ける日本語の「い」と「え」の発音が、正しく発声できない。日本語上演のオペラを見る時、観客は、歌い手の演技と表情によって大体の意味を把握するが、正確に歌詞を聞こうとするならば、聞き取りにくい部分は少なくないだろう。口を大きく縦に開けるということは、体の中の空洞を大きく開ける意味を持つ。これは、マイクを使わずに劇場の客席の後ろの方まで響き渡らせる効果がある。

わたしは10年以上オペラを歌い続けている。そのほとんどは原語上演だが、日本語上演のオペラも何本かある。その中で、「魔笛」と「カルメン」は日本語で上演されることも多い。これには、3つの理由が挙げられるだろう。第1に内容が複雑すぎないこと、第2に素晴らしい日本語訳が存在していること、そして第3に、人気が高く世間一般によく知られたオペラであることである。人間の夢や理想、業や愚かさ、欲などが、美しい音楽に乗せ、魅力的な登場人物たちによって演じられる。初演当時は、宮廷音楽家や貴族たちに拒絶されたと言われるこの2つの作品も、幅広い庶民の共感を得たからこそ、200年経った現代においても歌い継がれているのだろう。聞き取りづらいとされる日本語上演でも、繰り返し上演されている。聴衆が聞き取りづらいのであれば、西洋音楽の歌い手にとっても、母音の曖昧さが少ない日本語歌詞の発声に苦労することは止むを得ない。西洋音楽の発声法は、日本語を歌うようには出来ていないから、当然の結果なのである。

西洋音楽と日本音楽の発声法の違いは、単純に言語の違いだけであろうか。わたしは、劇場や聴衆の違いもあるのではないかと考えている。歌は、身近な人に語るように唄い聞かせるのと、労働者が掛け声をかけるように歌うのと、聴衆のいる大きなホールあるいは野外劇場で歌う場合とでは、発声もリズムもまるきり違ってくるはずである。現代人は、多種多様な生活リズムをそれぞれに持っている。そして、多様な音楽が節操なく流入しているから、互いが迷惑とならないよう気遣いをし、歌う場は制限されている。自分の歌いたい歌を思い切り歌うことのできるカラオケボックスが市民権を得たのは、その典型であろう。歌で生活をしている一部の人間を除けば、現代の日本では、歌は生活から切り離される形になっている。

小泉文夫氏は著書の中で、日本音楽が日本人の心から失われつつあることを指摘している。失われつつある日本音楽とはどのような音楽であろうか。わたしが日本音楽で思い浮かぶのは、和装の結婚式で演奏される雅楽である。聴いたことはあるが、わたしにとっては滅多に触れる機会のない非日常の音楽であり、特別で、神聖な、厳しい表情を持った音楽である。非日常の音楽であるからこそ、雅楽は今でも大学などで研究されているし、演奏する場もあり、必要とされるからこそ演奏者も失われてはいない。
先日、東京国立博物館を訪れた際、本館入り口で雅楽楽器の演奏と試奏が行われており、「笙」や「笏拍子」などに触れさせていただいた。ほとんど、まともな音やリズムにはならなかったが、竹を割ったような鋭い響きに、一瞬、空気がピン!と張り詰めるような緊張が感じられた。わたしには、それらをどのように合奏するのか見当がつかなかった。和音にもリズムにも、なにか法則があるはずだが。考えたところで、わたしは西洋音楽の頭でしか考えられぬらしい。腑に落ちない音だけがむなしく響いていた。
こうしてみると、雅楽というものは、親しみ深く生活に密着した日本音楽とは言い難いように思える。失われつつある日本音楽とは、庶民の間から生まれた、日本人の生活や感情の中から生まれてくる音楽のことではないだろうか。民謡やわらべ唄が、失われつつある日本音楽に近いのではないかと考えられる。

映画「新・夫婦善哉」の中で、隣り合わせた人びとが声を合わせて唄う場面があった。この映画では、昭和38年の日本の庶民の様子が描かれている。登場人物には、着物を着る者と洋服を着る者がおり、日本人が西洋に憧れつつ和の心も置いてきぼりにはしていない、新旧入り混じったロマン溢れる時代が感じられる。その中で、ある小料理屋にちんどん屋が来て、皆が声を合わせて唄い踊るシーンがあった。金属音のリズムに合わせて三味線が鳴る。それに合わせて人々が唄うのだ。何の唄かわからない。めちゃくちゃに聞こえるが、それは自然と生活に根付いているように見えた。現代人にはない習慣であり、わたしは違和感を感じざるを得なかったが、その様子がとても楽しそうで、その中に入っていきたいとすら思った。
現代人が、ご飯を作りながら、あるいは労働しながら、遊びながら、自然と口ずさむような歌は、テレビから流れてくる若者向けの音楽や、映画で流れていた音楽、また学生時代に半強制的に学んだ西洋音楽がほとんどではないだろうか。わたしの周囲を見渡すと、昔ながらの民謡が唄えるのは、秋田生まれの父くらいである。

父は、録音機などない時代に、家族の誰かが唄っているのを真似して民謡を覚えた。父が子供の頃は、外で大声で唄うことができたと言う。聴衆のほとんどは人間ではなく、畑であり山であり、野に咲く花であり、虫や動物たちだっただろう。しかし、代々受け継がれてきた秋田民謡を、東京で生まれたわたしが覚えることはなかった。狭いお風呂の中で、父が唄うのを聞いてはいたけれど、心には響いてこなかったのである。もしわたしが、秋田の地で生まれ育っていたらどうであったろうか。山に囲まれ田畑の手伝いをしながら、意味などわからず真似して唄っていたかもしれない。しかしわたしは、秋田民謡などには目もくれず、当時テレビで流行していたアイドルの歌や、そのとき習っていたバイオリンにばかり夢中になった。

子供の頃、わたしは「日本の音楽は西洋に比べて遅れている」と教えられ、同年代の周りの友人たちもそのように口にしていた。しかし、本当に日本音楽は西洋音楽に劣るのだろうか。西洋音楽を吸収すべく、幼いうちから劣等感を擦り込まれ、無理やりに教育を受けさせられていただけだったのではないだろうか。わたしは、いま、心に小さな革命が起こり始めている。音楽世界においての日本人であることの劣等感のようなものに、疑問を抱き始めているのだ。西洋音楽は確かに素晴らしい。だが、日本音楽にも西洋に決して引けを取らない素晴らしさがあるのではないかと。
美術史の世界では、一時期、レオナルド・ダ・ヴィンチを代表とする偉大な芸術家が生まれた15世紀頃のヨーロッパ美術を最高点として考える風潮があった。作家の精神・世界観と美を表現する技術は、最高点に向かって発達し、到達した後は、衰退の道を辿ったと考えられたのである。しかし、今ではそのような研究方法は取られていない。芸術は、時間軸で追うものではなく、また芸術の生まれた土地柄によって優劣をつけるものでもない。それぞれの時代、土地、宗教、慣習などによって生まれた作品は、それぞれに味わいのある芸術性を持っており、評価されるべき点が多くあると考えられている。音楽にも同じことが言えるのではないだろうか。

日本音楽の素晴らしさとはどこにあるのだろう。現在、わたしが聞ける身近な日本音楽と言えば、前述の父の唄だけである。今でも父は、頑なに民謡一筋だ。民謡を唄うことは、東京で暮らす父の心が故郷秋田に帰るひとつの方法なのかもしれない。目を閉じて民謡を唄えば、空間を飛び越え、時代を遡り、瞼の裏に子供の頃に駆け回った野山や、畑仕事をしている家族の姿が浮かんでいるのではないだろうか。想像すると、少しうらやましい。子供の頃から西洋音楽を学んでいても、オペラを愛していても、それはわたしの心の故郷とは違う。
心の故郷を音楽の中に見出すことが出来るというのは、お金では買えない、その人だけの人生の宝物である。これは、教育でどうこう出来るものではない。現代人の生活の中で、ほとんど聞く機会のない日本音楽は、時代に埋もれていく定めなのかもしれず、これを掘り起こして無理やりに現代人に唄い聞かせることは、西洋音楽を押し付けられたわたしたちの世代の教育と、同じことを繰り返してしまう危険を孕んでいるような気がする。民謡は、机を並べて教科書で学んだり、先生についてレッスンを重ねたりするものではない。生活の中で、人々の共感から生まれた音楽だからこそ意味があり、人の心を打つのである。



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