地獄の思想とは?   美術科 日本画コース 栗原三恵

【2010年度 日本文化論】

地獄の思想とは?   美術科 日本画コース 栗原三恵



 まず、はじめに地獄を考えてみた。生前に、悪業を重ねた者が死後に行く所で、非常なる苦しみを受ける。例えば、祖父母から、よく聞かされたのは、針だらけの針山を登らされたり、盛んに燃えている炎の中にほうり込まれたり、閻魔様に舌をぬかれたり、とあらゆる責め苦があり、常にその責め苦にあわされる。人間の時は、体があったから、どんな苦しい死に方をしたとしても、死んでしまえるが、地獄に落ちた者は、魂である為、死ぬことができず、苦しみ続けるのだということ。そして鬼が、そこかしこにいて、恐ろしい形相で見張っている。私の家は、兼業農家で、父母は、仕事が忙しく、姉二人とは歳がはなれていたせいか、幼い頃は、祖父母と家に居た記憶が強くあり、この話を聞いたのは、かなり幼い頃で幼稚園に通わされるまえだったと記憶するが、それでも想像とはすばらしく、きっとその頃と今とでも、想像上の地獄は、ほとんど変っていないと思う。まず、怖いところで、痛い思いが続き、逃げることができない。絶対に落ちたくない場所という思いも変らない。幼い頃は、祖母が、針仕事をしていると、そっと一本の針をかりて、足裏にちくちくとしてみたり、自分の舌をつまんでみて、つまんだだけでも痛いと実感してみたり、お風呂は、薪で沸かせたので、お風呂に浸かりながら、熱くなりすぎると水を足すのですが、足さずに、熱湯に入るとはどんな体験なのだろう? と考えたりし、熱さを怖れた。又祖父が、五右衛門風呂の由来を話し、聞いたことを思い出しては、いったい、どんなに苦しい思いをしたのだろうと想像し残酷だと考えたりもした。このような(何万分の一のような体験ですが…)ことが、日々くり返されているところが地獄だとしたら、それを広めた人物が必ずいる。私はおの『地獄の思想』梅原猛著を読む前は、あまりにも無知であったことに気づかされた。私の知識の中では、仏教においての教義として、釈迦(仏教の開祖)が広めたことだと思っていた。だが、インドにきたことが文献「ブラーフマナ」により知ることになり、それ以前の文献では、地獄の叙述はなく、死者はその肉体をはなれて、永遠の光のある場所に行くと説かれている(『地獄の思想』p.60)。ではインドはどこから地獄の思想を知ったかというと、西紀前三千年のころ栄えたシュメール族の「戻ることのない国」クルの信仰で、ギリシアのハアーデースにもなったという(岩本裕『極楽と地獄』三一書房)。東西の地獄思想は、すべてシュメール文明との説があることを知った。釈迦の時代には、当然のごとく、民衆のあいだに浸透していたのであるが、なぜ、仏教と地獄思想は、ペアのように感じられたのかが、少しずつではあるが理解できてきた。

 釈迦は、人生は苦であり、その苦は欲望を原因とするという思想である。そして、欲望にふけったことの結果として地獄が生れるともいっている。そして、欲望は、さまざまに、分析され、苦悩の原因を明らかにし、苦悩の原因が欲望にあるとすれば、欲望をほろぼす必要がある。欲望を滅することができたなら、苦も滅することができる。釈迦は、冷静に、ありとあらゆることを考察し、自分自身の心に生れた感情も、整理し分析し、教説をつみあげていったのである。このように考え実行できる釈迦という人物は、とても、心から人間をそしてその魂を信じているが、(信じたい)と、ゆれる心も持っている。そして、心理の追求を放棄してしまう人間に対して、地獄を語ったのだと推測できる。本来、仏教は、釈迦が、人間を愛して苦を救おうとする慈悲より誕生した。それゆえか、四諦説(四つの真理)の中で苦諦説(人生は苦であるという真理)が出発点としている。そっから苦を更にひもとき、人間としての、誰でも悩む事であろう生の苦、老の苦、病の苦、死の苦の四苦に、また、そこに、漢字の意味どうりの、愛別離苦、怨憎会苦、救不得苦、五蘊盛苦の四苦を加え八苦ともした。生、老、病、死の四苦は、のがれようにも、この世に、長く生きれば生きるほど必ずといって直面し、だましだましで、折り合いをつけ生きて行かなければならないことでしょうし、あとに加えた四つの苦は、日常において、大なり小なりかかえている悩みを、人生の洞察から解説されていて、釈迦の目線が感じられ(近い位置に)、あらゆることも逃さずに真理を追求して行く姿勢に、私の知っている仏教との違いをまざまざと感じた。
 苦諦の原因は、欲望である(集諦)。と言いきり、その欲望を、欲愛(人間の心のなかに燃える激しい欲望)と有愛(生きていたいと思う欲望)と無有愛(存在したくない、無への欲望)とに分け、苦の原因追求に前進している。しかしながら、まるで、仏教とは、本来は心理学ではないのか!? と。しかし、それ以上に、あらゆる現象を見聞きし、たいへん多くの人間を考察し、そして深く洞察しないと、このように、苦諦説(人生は苦であるという真理)からのスタートはなかったであろう。そしてその原因を解く集諦を論じ、滅諦、道諦(欲望をほろぼす正しい方法)とすすむ。道諦を総合すると八つの正しい欲望のほろぼし方とし、八正道を教えて知恵をみがき、行をつつしみ、心を静めることによって欲望をほろぼせといっている。仏教生活の基本条件は、この中の正見、正思惟(正しい考察)正語し、知恵をもってして、正業(正しい行ない)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)の戒律を守り、正念(正しい思慮)正定(正しい瞑想)の瞑想をせよと三つを柱としている。私は人生は苦であるという真理を前面に包み隠さず、正直にいっている釈迦の仏教が本物であると強く実感した。

 中学校の卒業の頃だったか、少しずつではあったが感じはじめていたことなのだが、高校に入学し、まもなく、そこことはやってきた。そのこととは、「生きるとは? いったいなんぞや」であり、この問いは常に、呪文のように離れず、生きることについて書かれてある(題名などより)本を読み、少しでも自分自身が感化される一文はないかと探す。そして、できることならこの呪文のような問いの答えをみつけだしたいと願いながらも、みつけ出せずに日々過ごしていたことが続き、一人でこの問いと向き合って悩んだ時期を思いおこさせた。贅肉のない感受性をもった高校生の私の三年間は、自己と向き合うことで精一杯であった。釈迦によるところの、集諦(欲望)であり、欲愛があり、しかもそれよりも強くこみ上げてくるのは無有愛(無への欲望、破滅願望)で、でも死は怖くないとは言いきれず、そこに有愛がある。集諦の中の三つがいびつなトライアングルを作り、まるで支えあっているかのようだ。出口のないままのトライアングルは、私にとっては、38年間の中で、体験上「地獄の思い」であったことは確かである。なぜかこの思いは<自分で解決しなければならない>との思いが強く、ほとんど口には出さずにいたことが、より深い傷口を自ら生み出していった。類は友を呼ぶといわれているが、その頃は太宰治の「グットバイ」を読み深め、あの独特の言葉づかいが心にうつって、心思うことが浮かぶと、心の中であの言葉づかいでつぶやき、文章にしたり日記を書いたりした時もあのように、自分であり自分でないようなかたちの文で、自己の思いにやや陶酔しているような傾向のものになっていた。
 今振り返ると、10代の後半は決して明るいものではなく、むしろまっ暗で、高い理想や夢も、簡単に叶うわけもなく挫折し、暗中模索の日々を過していた。自分とは何者か? 何ができるのだろうか? どう生きたらよいのか? との呪文のような問いかけの日々…。今であれば「大好きな子供の成長を見届け、ワインを美味しく飲めるように生きて行きたい。そしてすばらしい芸術作品(本物の)とできるだけ多く出会い、感動を共有し、自分の作品を納得のいくものにしていく為に生きたい」と断言できる。あの悩み多き地獄だと思っていた頃は20年後にあっけらかんと主張している自分を全く想像していなかったであろう。人間、地獄をやりすごすと強くなれるのだ。
 呪文のような問いかけに決着がつく時も生きていれば必ずおとずれる。生きて、出会って、学んで、仕事して、遊んで、傷ついて、感動する。生きる、とにかく生きることが大事なことだと思う。こう思えたきっかけは苦悩していた20年前、高校卒業間近の頃、「死ぬために生きよう」と答えがでてきてから徐々に霧が薄らいでいった。唯一、精神論!?、心の中を話し合える友人に伝えたところ、目をパチパチとさせ、「いったいどいゆうこと?」と聞き返された。私は「死を前に悔いを残すことはしたくないから、今を生きる」と、そして「死」はいつともかぎらずやって来るものだからとにかく生きる」と付け加えていたように思う。

 今回、日本文化論を選択し、梅原猛著の『地獄の思想』を熟読する機会に出会えたことに深く感謝致します。仏教が人から人へと伝来していく中で植物の根のように、新しい思想を加えたり引いたりして生れたこと、地獄の思想も、いったい何が悪いことなのであるかを知らしめる一つの手段でもあったはずだ。人間は経験をとおして学んで行くが、釈迦がいったように、欲望による、かたよったことだとしたらそこに地獄が生れるのである。源信の説く『往生要集』にしても、地獄の恐ろしさとかく注目を浴び、この世で罪の重いものほど苦悩の多い地獄に落ちると言っているが、源信は地獄(あの世)に行って見てきたわけではない。それでも人は恐ろしさとともに興味をもち受け入れる。そこに、実は願望も含んでいるから現在にまで語り継がれている。きちんと成立している。この世でも、殺人者を死刑にしてほしいと思う意見のほうが、日本では圧倒的に多いのである。源信は空想で『往生要集』を説いたのではなく、この世でのでき事で、実際に地獄にいるように苦しんでいる人間の深い観察から発しているのだ。民衆の期待に応え、そして理解し、納得し、万が一、悪行に手を出しそうになってしまった時、強烈な地獄を思い出させ、自制心が働くことを願って、より印象的に、強く心に残すことができるよう説いたのである。全ては「この世を生きる生きとし生けるもの全てに対する愛から生れた」と私自身は『地獄の思想』を解釈してみました。地獄をはなから非科学的だと馬鹿にする人が、現代には以前よりもまして増えている。「だれでもよかった。ムシャクシャしていたから刺した」。ニュースでよくこのセリフを耳にする。良心を教えてもらえずに生きてきた人間に、いまやたのみのつなの地獄の思想までもが消えかけてきている。この社会をより生きやすく変えて行くには、「一人一人に何ができるか?」。大きな大きな課題が内在していることを忘れてはいけない。