こんにちに生きる宮澤賢治---イーハトーブ再考--- 写真コース K.Y

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【2010年度 環境文化論・花巻】スクーリングレポート

こんにちに生きる宮澤賢治 ---イーハトーブ再考--- 写真コース K.Y



はじめに

 宮澤賢治の作品にふれるとき、いつもどこか物悲しさを感じる。その人生をめぐり哲学に近づこうとするとき、きらきらと輝く銀河の向こう側にある何かを見つめるようで、真理をはっきりと捉えることができない。

 賢治はしかし、いつも恥ずかしそうに笑顔で本棚にあり、その名前を聞けば振り向かずにいられない存在である。私もいつか花巻を訪れ、しっかりと向き合うことになるだろうと感じていた。賢治が生きた花巻に身を置き、賢治が歩いた道を自分の足で歩いて感じたことをまとめることとする。


理想郷イーハトーブ

 宮澤賢治の哲学をある一定の結論にまとめ上げる行為は危険であるとともに、おそらくあまり意味をなさないだろう。その世界への入り口は、四方八方思わぬ場所にあり、それぞれの内部は恐ろしく緻密かつ専門的で、出口はときに用意されていないからである。彼の言葉に「永久の未完成、これ完成である」(1)というものがある。これは作品制作に関しての発言であると思われるが、賢治の世界を読み解く際のキーワードにもなる。解釈は読者に委ねられている。

賢治が明確に示した意志の一つに、「イーハトーブ」という理想郷がある。心象に実在し、そこではあらゆる事が可能であり、かなしみでさえ聖くかがやく場所だ(2)。大切なのは、彼がそれを単なる思想的ドリームランドとしてではなく、現実に存在しえるものであると実体験から証言していることである。「ひとたび心に表れた現象は間違いなく事実だ」、また「理論に対する直観の優位」という言葉にも見られるように、様々な実験や経験を経ながらも、賢治はそれ以上に自分の心内にあるものを純粋に強く信じて人生を歩んでいる(3)。この純粋なものに対する確信があったからこそ、身近で苦しむ人々を救える手段としてイーハトーブを提唱したのである。

花巻を歩きながら、賢治の視野の広さに思いをはせた。目線の先は頭上の宇宙であり、四方を360度囲む山々であり、足元の土である。自分の境遇から逃れる意味から、彼の思いは最初に一番遠い場所である天、宇宙へと向けられ、次第に空と繋がる山へと下り、ついに足を着けて立つ大地へと着地する。花巻の土地の特徴がそうさせたのだろう。平野がどこまでも続く町、あるいは海辺であった場合にはこのような動線は見られず、また視点が一気に天へと昇ることは、あるいは無かったかも知れない。この遠くから近くへと移動する心の動きは、それぞれの段階で必要な学びであったことは確かだが、実は物事の真理、つまり幸せは自分とかけ離れたどこか遠い世界にあるのではなく、今自分が立つこの大地にこそ存在するのだというイーハトーブへとつながる。

今いる地をイーハトーブとするには、毎日の生活の中で物事を新鮮かつ純粋な目でよくよく観察することが必要である。そこには驚きや喜びがある。賢治の場合は、その手段として科学が有用であった。科学を通して農業を捉えると、様々な発見の喜びがあるだけでなく実務として役立つのである。ともに重要視したのは、芸術である。芸術は生きる力そのものであり、人は時に食料よりも芸術によって真に生きることができる。この二つがバランスを取って初めて理想郷に住まうことができるのだ。

「我らに要るものは 銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である」(4) とあるとおり、人々が生活は厳しくとも視野を広く持ち、信じる心、情熱を持って喜びに生きることが賢治の希望であった。


まとめ

私のこれまでの歩みも、イーハトーブを求めるものであったと言える。大学でドイツ語を専攻し留学生活をした経験は、帰国後に自分の幸せは「ここ」ではなく遠くにあるという思いを起こさせた。卒業後に渡ったドイツでの2年間の勤務を終えるころには、しかし生涯の真理を求める場所はここではないと思い至った。その後日本で8年程働くうちに長い思考の末、激務で私生活の無いこの場所は仕事が順調に進む分、自分がどんどん薄まり「真」から離れるばかりであると結論を下し、そこから去ることを決めた。私にとって極めて切実であったこの長年の問題は、賢治にとっての「科学」という武器を「写真」に置き換え、芸術を生活に取り入れ、意志を持って情熱的に生きるための新たな段階へ進むことを促した。イーハトーブをどこか遠いところではなく、自分の意思で足元へ引き寄せる決意をついにさせたのである。私にとっての写真とはつまり、身近な物事を新鮮な目で捉えなおすことのできる有効な手段なのである。

今回の旅は、賢治の作品をより身近に感じることが大きな目的であった。結果的には、自身のこれまでの歩みを振り返り、「私のイーハトーブ」への思いを強くするものとなった。宮澤賢治記念館への来場者は、常設展がほとんど変わらないにも関わらず、28年間で630万人を超えたそうである(5)。人生の様々な段階で訪れ、賢治と対話することで自分の理想郷を確認するのだろうか。私が次に賢治と対話するのはいつだろう。今よりも強い透明な意志のもと清々しく立っていることを期待したい。

(総文字数:2,050文字)


引用註
(1) 宮澤賢治記念館内資料より抜粋
(2) 宮澤賢治記念館内資料より抜粋、『注文の多い料理店』賢治自作広告用チラシ
(3) 前註(1)に同じ
(4) 宮澤賢治記念館内資料より抜粋、『農民芸術概論網要』
(5) 2010年7月2日イーハトーブ館、宮澤賢治記念館館長、照井善耕先生講義より

参考文献、資料
・西本鶴介『伝記 宮沢賢治』株式会社ポプラ社、2004年
宮沢賢治(発行者 佐藤隆信)『新編 銀河鉄道の夜』株式会社新潮社、2006年
・『あったかいなはん花巻 花巻市街観光案内図』社団法人花巻観光協会
・『「宮沢賢治先生の家」紹介』岩手県立花巻農業高等学校同窓会、岩手県立花巻農業高等学校
・小倉久美子『レポート執筆の基本・マナーとルール』京都造形芸術大学、2009年

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(佐藤孝先生。イギリス海岸で)

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(童話村で)

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(鞍掛山)


*編集者註
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