『ツァラトゥストラはこういった』第一部〈三段の変化〉について 空間デザインコース 中村友紀
【2010年度 総合演習 IVA レポート】
『ツァラトゥストラはこういった』第一部〈三段の変化〉について 中村友紀
「しかし、もっとも荒涼たる砂漠のなかで第二の変化が起こる。ここで精神は獅子となる。精神は自由をわがものにして、おのれの求めた砂漠における支配者になろうとする」(三段の変化 氷上英廣訳『ツァラトゥストラはこう言った 上』岩波文庫、p.38 l.15~抜粋)。
この文章についての私の解釈を述べる。抜粋した文章は精神の三段の変化についての章のうち、駱駝について語られている箇所だ。三段の変化において「駱駝」とは、三段階あるうちの一段階めである。「こうしたすべてのきわめて重く苦しいものを、忍耐づよい精神はその身に引き受ける」(p.38)と述べられているように、駱駝は自身の力を問い、過去の英雄たちと比べ、たしかめる存在である。これは、既に世の中で通用している価値感のもとで行動しているということと考えられる。「もっとも荒涼たる砂漠」とは、原文では「もっとも孤独な」と表現されている部分でもあり、駱駝が力くらべする相手がいなくなった状態を示している。
ここでいる「砂漠」とは「戦いの果て」を意味しており、駱駝にとってライバルがいない場所ということがわかる。
また「おのれの求めた砂漠における支配者になろうとする」では、「おのれ自身の砂漠における~」と訳した方がわかりやすい。駱駝はほかの誰でもない駱駝のフィールドで支配者になろうとしているのだ。「支配者になろうとする」ということは、今までは従属していたとも言えるだろう。駱駝は、自分の行動を義務としてとらえることをうちやぶろうとしているのだ。これは、のちにでてくる「汝なすべし」をうちやぶろうとしていると言い換えることができる。「汝なすべし」は駱駝にとって神であり、p.39の一行目にあるように、「かれを最後まで支配した者」なのである。駱駝がその砂漠における支配者になろうとするとき、駱駝にとって「主なる神」だったものは「巨大な竜」に変化する。絶対的だった「神」が、絶対的ではない「竜」となったのだ。そしてその砂漠で精神は駱駝から獅子へと変化するのである。