【2010年度「日本文化論」】健康ブ-ムに潜む地獄的なもの  南淵ミカ

【2010年度「日本文化論」第一課題】


健康ブ-ムに潜む地獄的なもの   美術科染織コ-ス  南淵 ミカ



はじめに
 ここ数年来健康ブ-ムで、書店に行っても多くの健康に関する書物が目立つところにならんでいる。テレビでも健康に関する番組が毎週どこかの局で放送されているような気がするし、新聞の家庭欄にも多々登場している。厚生労働省も「生活習慣病」ということばで多くの病気が個人の生活習慣と深く関わっていることを強調している。バランスの取れた食事と適度な運動による体重管理や禁煙・節酒くらいはできないと、病気になっても自分のせいだといわれても仕方がない時代になってきている。社会全体の高齢化もすすみ、それゆえ健康ブ-ムが起こったように思われるが、このような現象の中に地獄的なものが潜んでいるような気がしてならない。

情報に振り回されて苦を招く
 人間はいつか死ぬものである。しかし、できるだけ長生きがしたい。それもベッドに横たわってでなく、元気に人の手を煩わせることなく自分で生活を継続させたい。誰もが願っていることである。この寺にお参りすれば、ポックリと死ぬことができるという寺もあり、せっせとお参りしている者もいる。古くから「たくさん働けば、お金が多く手に入り、幸せになれる」とか「たくさん働くためには健康でなければならない」という価値観の元、健康に対する信仰が存在していた。このように健康でいたいという願望がこの健康志向に人をかりたてていった。ただ、この不況の時代病気になれば、生活できなくなる、医者に行くお金もないからということもあるかもしれない。
 では、健康でいるために何をしたら良いのか。溢れる情報を前に人は考える。運動好きな人は、運動を取り入れるであろう。運動の苦手な者は、食事改善やサプリメントの補給。また、その両方とも取り入れる者もいるであろう。自分にあったものが見つかり、今の状態より快適な生活を思い浮かべながらはじめだす。なんらかの効果がではじめれば快適な気分になり、なおさらもっともっとと効果を期待し、はげむ。そしてまた、新しい情報収集を開始し、今の自分に満足できなくなる。適切な指導者がいればよいが、たいていの場合自分の判断でのみ行っている。テレビで「健康にいい食材」「ダイエットにいい食材」などと聞くとその翌日ス-パ-ではその食材は品切れ状態をおこす。自分の体に神経質になりすぎる人は、病気の本を読み漁り、書かれているいろんな症状が自分に当てはまるような気がして落ち込んでしまう。そして、健康な体にしようと、いいといわれた食材を極端に食べ過ぎる。サプリメントにたよろうとする。栄養の過不足を考えて必要な時だけサプリメントを利用するというよりも、毎日の習慣として、あるいは疾病予防・改善効果を期待して利用している実態がうかがえる。このような状態を、『求不得苦』といえないだろうか。病気になりたくない。元気で長生きがしたい。人から実年齢よりも若くみられたい。健康のためと色々試しても、やり方を間違えたり、市場に出回っている健康商品とされるものが必ずしも健康に寄与するわけでなく逆に健康を害するものもあり、思うように結果がでないことは、多々ありうるのである。それでも、新しい情報が入ればまたそれを試してみようとする。ダイエットに関しても、傍目でみていても十分スマ-トだと思われるのに、まだ太っているもっとやせなくてはと言っている人がいる。ぽっちゃり型の健康美人はどこへ行ったのであろうか。悲観的になると死亡率が上がるという結果もでているという。ちなみに、悲観的だと、体内の活性酸素も多くなるので老化も速く進む。長く若さを保ちたいのなら楽観的になるのがいいそうだ。「過ぎたるは及ばざるがごとし」何事も適度なバランスが大切である。

環境のもたらす苦
 日本は世界一の長寿国であるが、今長寿であるといわれている人達は、明治の一部とほとんどが大正生まれの人達である。その人達の育ってきた環境と今の環境を比べてみると大きな隔たりがある。
 まず、運動量であるが、昔の人達は、生活の中で知らず知らずのうちに運動していた。ほとんどの人が歩く、そして自転車、遠くに行く時はバス、電車、自家用車などはほんの一握りの人達が利用しているだけである。ご飯を炊くのも炊飯器が勝手に炊いてくれるのではない、かまどで薪をくべながら炊くのである。水は、水道から出てくるのではない、井戸水を汲み上げねばならない。掃除にしても、掃除機や汚れを落としやすくする洗剤などない、はたきをかけ、箒で掃き、こびりついた鍋の汚れは、たわしでごしごし時間をかけてこすり落とせねばならない。じっとしている時間なんてありえない。常になにかしら動いている。だから、今のようにあえてジムなどにいってトレ-ニングする必要もなくジョギングやウオ-キングする必要もないし、そのための服や靴を買うこともないのである。
 食べ物においても、旬のものや地元で取れたものを食していた。一番自分の体に合った食料である。農薬もほとんど使われていない。虫食いや形の不ぞろいなど、気にもかけていない、それが当然のことであるからである。同じ長さや曲がっていない、虫も食っていない野菜などかえって不気味である。地元でとれているから、新鮮であるし、人も野菜も同じ環境で育っているのだから拒否反応は示さないであろう。長期保存をするにしても薬品や電気を使うのでなく、太陽の恵みを利用して乾燥させ、ミネラルや栄養素をたっぷりと吸収させている。
 日常生活においても、時間がもっとゆっくりと流れていたと思われる。自然に流れる時間に逆らわず、太陽とともに起き、太陽が沈み月が出ると寝る。現代では、建物の中に入ると今が朝なのか、昼なのか、夜なのかまったくわからなくなる場所がある。コンビニなんて24時間営業もしている。これでは、体の休まる時がなくなってしまう。神経が磨り減って精神的におかしくなってくる。心の病が多くなるのも当然のことである。こういう現代に住んでいること自体が地獄的である。こんな時代に住んで今の長寿が保たれるであろうか。医学的な進歩により病気の治癒率が上がる事はあるであろうが、長寿が保証されるわけではない。医学においても、体の調子がよくないからと病院にゆき診察してもらって薬を処方してもらうが、その薬いろいろ説明書がついてくる。読んでみるが、薬の種類が多いような気がする。血圧が高いといってすぐ薬、少しぐらい高い時は様子を見ればいいのである。年齢が上がれば、血圧だって少しは上がるであろう。患者が望むから出すのかもしれないが、念のためにという薬どうかと思う。
 科学の発達により破壊され、失われたものを取り戻すことをしないで、便利さの上にあぐらをかき平気に生活している。そして、便利な生活がしたい、病気にならない体が欲しい、元気に長生きがしたい、医学がもっともっと発達して、今ある病気を全滅させて欲しいと願っている。いくら医学が発達しても、心の病気を治せるのか疑わしいのである。高齢化社会に突入しつつある現在、一種の熱狂的な狂気にかられ健康、健康とただ、やみくもに運動し、体にいいとされるものを事実かどうか確認もせず次から次へと食している。このような日本社会の地獄化された状態は、何かが起こる前触れのような気がしてならない。                                (2962字)


参考文献
梅原 猛 著 『地獄の思想』       中央公論新社 2,007年5月25日改版発行
滋賀県立成人病センター、「健康ブームに一言」、http://www.pref.shiga.jp/e/seijin/hakkou/memo05.html