【2008環境文化論・津軽】 津軽人 (陶芸コース 相馬理絵)

【2008環境文化論・津軽

津軽


  陶芸コース 相馬理絵



 今回、津軽のスクーリングがあると知った時、私にとって父と母の事、又は自分を原点から見つめ直す、とても有意義なチャンスだと感じた。何故ならば、両親の性格が独特であり、テレビに津軽が放映されては、自慢をするので、どのような所なのか知りたかったからである。今年の冬、母方の祖母が亡くなった。24年ぶりに積雪の南津軽におとづれた母と私は、津軽の親戚と話す機会が出来た。津軽弁は大変親しみのある訛りである。名詞には『コ』をつけ、濁音が多く、関東に住む母と叔母は私に、ことばが通じる? とあれこれ津軽弁を言い当てられるか聞く。お可笑しく思いながらも、津軽弁が愛しいのである。

 父と母は1960年代の創造と破壊の中で生きた世代である。便利で幸せな生活を夢を見、上京した。吉幾三は北国の人々の情緒を表現している歌が多いが、多くの東北出身者、特に青森・津軽出身の人は共感するのではないか。東京から故郷の道は遠い。やっと開通した東北新幹線は平成14年12月にやっと八戸に繋がり、それまでは盛岡からバスか特急、或いは夜行列車で半日かけて行き来した。金額もかなり負担がかかっただろう。交通の便が悪く、辺境の地である津軽。せまい環境と人間関係、肥えた海と土地、寒く耐え忍ぶ冬。核家族が崩壊し、今の津軽は、60年代に生きた若者の世代が少ない。あのレッツウォークお山参詣への思いは、土地に残された津軽の人達の荒廃してほしくないメッセージがある。まずは、昔の形式を崩し、今風になっている事だ。レッツウォークは「Let’s work」。英語なのだ。英語を知らないお年寄りや父母世代が多い津軽に名前を改名したのは、中学生または高校生に違いない。また、誰にでも参加できる様になっている。千五百円の参加費にボリュームたっぷりのサービスである。もともと北の国に住む人は世話好きな人が多く、豊富な料理を御馳走する人が多い。私は御幣を渡された時、初参加で、こんなに立派で大きな物を貸してくれるのかと感動した。これは、けして人寄せでサービスで貸しているのではなく、このボリュームが当り前だという気持ちが伝わった。参詣の衣装は、白と聞いたが、赤が衿や八巻、帯に入っているので、少し拍子抜けした。しかし、これも今風のデザインに若者が考えたのではないかと考える。私は英語と言えば能動的なイメージで赤を想像する。そして賑やかで情熱的で活気、熱の色で、リンゴの実の色である。なかなか洒落ているではないか。昔のように身を完全な白装束で身を固め、男子のみ参加など厳しい規制がなくなり、祭時への厳格さがなくなってしまったのは残念だが、今の時勢どこの地方でも無理な事なのだろう。けれども、それが懸命に生きた結果なのだから、悲しむことはない。私が津軽に関係する身だからという訳ではないが、「けっぱって(頑張って)」ほしいものである。

 近い将来、八戸から「新青森駅」に新幹線が開通される。そうなると閉鎖ぎみの津軽人が外へ進出する機会が増えることが予想される。地球温暖化が進み、南で採れるはずの魚が北へ移動していると聞く。地球の危機がジワジワとせまっているのが見てとれるが、津軽が、津軽人の気質も変ってしまうのもそう遠くないだろう。