【2008環境文化論・津軽】  岩木山と津軽の人々 (染織コース 荒川)

【2008環境文化論(津軽)】

岩木山津軽の人々


染織コース 荒川 


 全ての行事が終わった後、違和感が残っていた。これはなんだろうと考えていくと、「あっ嫉妬しているんだ。」と、思い当たった。自分にはこれから先、当然過去にも、絶対に持つ事が出来ない、生まれ育った土地に対する強い感情、離れていたとしても、離れているからこそ持ち続けることが出来る、そして、戻ってくればたとえ少しづつの変化はあったとしても本筋は変わってはいない強いふるさと津軽がある。

 津軽と言われても、全く知らない土地だった。北東北には、足を踏み入れたことが無かった。テレビの映像で見る雪の多いところ、りんごの取れるところ、というくらいの情けない知識しか持っていなかった。太宰治の「津軽」を読んでみても何か、あいまいな暗いイメージしか持てなかった。津軽凶作の年表を見てますます暗くなっていった。「津軽」の本を中断してしまった。

 講義を受け、津軽の人々の土地に寄せる強い愛着に驚いた。こんなにも自分の生まれ育った土地を愛し、語ることが出来ることが、新鮮な驚きだった。

 岩木山が見えるところが津軽だという。岩木山がいつもここに住む人々に恵みをもたらしてきた。米も良く取れるという。見上げればいつも山が見える、ということはとても心に安心をもたらすのではないだろうか。いつでもここにいるという、変わらない土地にいるという安心を。とてもうらやましいと思った。いつも憧れていたのは、山の見える土地で暮らすこと。生まれ育った土地は全く山が見えない、無い。自分のいるところを確認するすべが無い様で、なんだか落ち着かない思いをしている。何かシンボルとなるものが欲しいんだな、と思った。岩木山が見えれば、それはもう津軽富士と言われるくらい綺麗な山で、毎日見守ってくださる。信仰の対象となるのは当然のことだとすんなり理解できる。お山参詣も昔はもっと厳しいものだっただろう。ましてや、女人禁制だった。時代は変わり、行事も少しづつ変わっていくのは仕方が無いことだろう。しかし、津軽の人々は岩木山を見ながら育つ。お山を愛し、シンボルとして信仰する気持ちは変わらないだろう。

 「岩木山に登ってみたい、信仰のやまの行事にも参加できるし」という、その程度の動機で参加したスクーリングだった。今でも残るのは、登山囃子、これはいつまでも残るような気がする。レッツウォークで唱えた唱文、今でも頭の中で唱えていたりする。子供の頃から毎年これを聞いて育っていればもう、体の中に浸み込んでいるだろう。例えどんなに長い間故郷を離れていたとしても忘れようが無い。体育館で踊ってくれた、表彰を受けた女性(おばあちゃん)の踊りが本当に素晴らしかった。滑らかな動きが長年のキャリアと言うか、もう身に備わった、身体が踊りそのものになっている。津軽の人なんだ、としみじみ感じた。太宰の「津軽」は、スクーリングのあと読み終わることが出来た。