『地域学基礎』 第2課題 (神奈川県 山川忠さんの報告)

『地域学基礎』 第2課題 (神奈川県 山川忠さんの報告)



1 野菜を売る農家のおばさん

 小奇麗な服装をした新住民をよそに、粗末な小屋に野良着姿で野菜を売り、リヤカーを引いて野菜を売り歩く農家のおばさんたちの姿は、純朴そのもので懐かしくもある。大らかに健気に堂々と、土とともに生き老いていくその姿に、私は崇高ささえ覚えたので、是非彼女たちを取り上げてみたい。

 私の住む伊勢原市は神奈川県のほぼ中ほどに在って、霊峰大山を背にし、冬でも滅多に雪が降らない気候温暖な土地であり、いちご・ブドウ・梨・柿・ミカンなどの果樹栽培、野菜のハウス栽培、酪農などが盛んである。東京に至便であるため昭和四十年代以降宅地開発や企業進出が続いてきた。そんな中でも、まだまだ専業農家が残っており、新興住宅地と田畑が混在する土地柄である。
 私が住む所は、丘陵地を拓いた約八百世帯が住む典型的な新興住宅地である。その丘の裾周辺には農家が点在しており、道路の端には農家が建てた簡素な小屋が二つ三つ建ち、農家の副業として一年中季節の野菜を売っている。私の家に最も近い小屋(写真1)などは、やっと雨風を凌げる程度の粗末な造りで、その意図がコストを抑えるためか、税制面を慮ってのことかは知らないが、周囲の景観と合わないこと甚だしい。


http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/Bilder/TopoipoiNet/080407YamakawaTadashi/photo1.jpg
写真1 野菜即売店(野菜を買い求める男性客。奥におばさんの姿あり)

 そのように傍目には粗末に映る小屋も、おばさん方にしてみれば全然気になることではないらしい。何の気負いもなく自然体で我が道を行く、そんなおばさんの姿は清々しくも眩しくもある。
 この地は、富士、箱根などの火山活動でできた沃土、相模湾から吹き込む温暖な空気、丹沢・大山から流れくる豊かな水に恵まれ、人々にとって暮らし易い土地であったに違いない。元々この土地に住む人が持つ大らかさや、泰然自若とした暮らし様は、自然の恵みと霊山大山に抱かれた信仰心篤い土地柄によって育まれてきたかのようだ。

 さて、件の小屋は無人で品物と引き換えに箱の中にお金を入れる方式の店と、常時おばさんが店番をしている店とがある。又、それとは別におばさんがリアカーを引いて売って歩くのもある(写真2)。

http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/Bilder/TopoipoiNet/080407YamakawaTadashi/photo2.jpg
写真2 野菜引き売りリヤカー(農家のおばさん〈左〉と客)

 どれもが新住民を当て込んだ商売で、その土地で取れた安くて新鮮な野菜が売りなのである。以前はこうした店に目もくれなかった妻も、最近では利用するようになってきた。中国野菜についての芳しくない報道があってから、スーパーよりも安い地元野菜を見直すようになったためだ。
 店番のおばさんに「おばさんどう?売れてる?」と聞くと、「何とも言えないね」とまんざらでもなさそうだ。
 「中国野菜が評判悪いからいいでしょう?」と続けて聞くと、「そうだね。うちはほとんど農薬使わないかんな」と、無農薬を強調する。
 売っている野菜は、スーパーに並んでいる見た目の良い優等生然とした野菜とは違い、不ぞろいで泥が付いているのもあり、見かけは余り上等に見えないが、却って安心感を与えるから不思議だ。値段が安くて野菜の種類が豊富なのも魅力である。売れ行きも悪くはなさそうなので、野菜を売った収入は農家の家計を支えているのかも知れない。
 続けておばさんに聞く。「おばさんこの仕事長いの?」「そうねぇ 三十五年くらいかなぁ この団地ができてからだから」、「自分で作ったものが売れるのは気分良いでしょう?」「そう 残らなければいいけど なかなかそうはいかないね やっぱり捨てるのも出てくるよ」、「おばさん伊勢原で生まれたの」「いや 七沢から嫁に来たのよ もう五十年も前だね」、逆に「何でそんな事を聞くの?」と少し変にしているので、私は、「畑に出たり、野菜を売ったり、家事もあるし大変だろうなって思って聞いてみたの」と答える。「本当に大変だよ。でも長いからね、いやだとは思わない。却って遊んでちゃ 居どころが悪いから」と、労働がすっかり体に染み付いてるといった風だ。
 「市場にも出すの?」
 「出すよ ここで売れるのは多寡が知れてるから」。
 そうは言うが、小屋で売る方が市場に出すより実入りが良いのではないかと、私はとっさに思った。この農家の周辺には私の丘の住宅の他にも、大規模な公団住宅が建っているので人通りは少なくなく、車を停めて買い求める客をしばしば見かける。このような商売は、概してこの地域には適っているのではないかと思う。

 一方、新住民の多くは都会から移り住んだ人たちであり、都会風のライフスタイルを身に着けている。人との接し方では常に距離を保ち、干渉したり、干渉されないようにしている。道ですれ違っても、知らないどうしでは挨拶しないのが普通であり、近所どうしでも互いに容易には心を許さない。煩わしさを好まず、希薄な関係を好しとしているようだ。このような状況が続くと必然的に人は付き合い下手になる。誰かが間に入ってくれないと円滑な関係が築けなくなる。そのような空気の中、農家のおばさんたちが新住民の中に分け入り、自然体でコミニュケーションの仲立ちをしているのは確かだ。引き売りのリヤカーには人が集まる。自然に挨拶し、二言三言でも会話を交わすことになる。親しい間柄では長い立ち話が始まる。農家のおばさんは、自分では多分思ってもいないだろうが、新住民の触れ合いに大いに一役勝っているのだ。

 それからもう一つ、私が大事だと思うのは、地域の人達に新鮮で安全、且つ安い野菜を提供し続けていることだ。私の住宅地でも高齢化の進行が著しい。高齢者世帯が多くなり、家の前を通る人の半数以上が老人だ、と言っても言い過ぎではない。若い足にはそれほど遠くないスーパーでも、年寄りには億劫で自然と足が遠のく。そんな時に軒々に声を掛けてくれるリヤカーおばさんの存在はありがたい。
 そんなおばさんたちの誰もが例外なく年寄りだ。後を継ぐ若い人でも居れば良いが、この先このような地域の風物詩がいつまで続くのか。続いて欲しいが、残念ながら見通しは暗い。大方の農家では世代交代を区切りに耕作を止め、田畑は宅地や企業用地に変わってしまうのが通例だ。地域の貴重な緑、安全な野菜、そして純朴で愛すべきおばさんの全てを一度に失うのはまことに惜しく、そんな時代が来て欲しくないと願う。

2 農家のおばさんとグローバル化

 「安い」を最大の売りものにして、急速に日本国内で販路を広げたのが中国製品の数々だ。これは絶対日本製だろうと思われるものまで、正札をひっくり返すと「MADE IN CHINA」と書いてある。そんな破竹の勢いで伸びてきた中国製品に「待った」が掛かった。数年前から、中国製の玩具、野菜・鰻・春雨等の食料品、漢方薬、ドックフードなどの一部から鉛、使用禁止薬品等の有害物質や、基準を上回る残留農薬が検出されたとのニュースがたびたび報道されてきたためだ(今年に入り、中国から輸入された冷凍餃子による広範囲な農薬中毒事件が発覚。大きな社会問題となっている)。死亡例や健康被害例も報告される始末で、中国製品への信頼は地に落ちた。
 そうしたことから、特に食品選びには日本中の人々が、そして妻も私も慎重になっている。中国製品に比べ殆どの商品は割高だが、健康上の不安が少ないので努めて国内品を選ぶようになってきた。正にグローバル化の波に翻弄されているのである。

 片や、グローバル化など元々意に介さず、それが天職であるかのように、黙々と大地とともに生きてきたのがおばさんたちだ。特に宣伝をするわけでもなく、店の傍らであれこれ働きながら客が来るのを待ったり、リアカーを引きながら一軒一軒に呼びかけて歩くのがおばさんたちの仕事のやり方で、粗末な小屋とリアカーではほとんど経費がかからない。一見時代に取り残されてしまったかのように見える生き方が、実は最も堅実で長続きする生き方だという一つの見本のようだ。そして、地域から見ると、安全な野菜を提供してくれて私たちの健康生活を支え、又、家計の負担を助けてくれているありがたい存在なのである。
 そんな、グローバル化とは無縁に思える仕事でも、輸入食品の衛生上の問題を契機に利用者数に変化があるということは、立派にグローバル化の渦中にあることを意味している。

 私は、おばさんたちを通して、古くから地域にあって有用で意義あるものを再認識する機会を得た思いがする。        

  (2007年度『地域学基礎』第2課題レポート)