津軽地方の鬼伝説 (弘前市 河原さんの報告)

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津軽地方の鬼伝説


 津軽地方の八幡宮などの鳥居には、愛嬌のあるカラフルな鬼コがあげられている。額束の所にしゃがみこみ、肩で鳥居を背負うような格好をしている。いつ頃からあげられたのか定かではないが、悪霊を防ぐ魔除けのためや力強い鬼を守り神として、鳥居にあげられたとされている。四百年前の落城の際に亡くなった多くの先祖の霊の供養のため、という説もある。神社全ての鳥居にあるわけではなく、郷土史研究家の加藤慶司氏(註)によれば、津軽半島におよそ38個あるという。近場の鬼コをいくつかまわって、写真に収めた(写真①~④)。

①-1撫牛子(ないじょうし)八幡宮の説明
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①-2八幡宮の入り口
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①-3鬼コの拡大
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①-4後姿
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②-1平川市尾上・三社神社の鬼コ
三社神社では、たくさんの鳥居をくぐって、神社の一番手前の鳥居に鬼コがいる
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②-2鬼コの拡大
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②-3後姿
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③-1弘前市富栄・神明宮
富栄、神命宮では、最初の鳥居に鬼コがいる
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③-2鬼コの拡大
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③-3後姿。木造のため、背中からお尻にかけてすでに割れている
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 津軽では、「鬼は邪悪で恐ろしい忌み嫌うもの」ではなく、神通力を持つ守り神として、好意的にとらえられている節がある。津軽のランドマーク岩木山には、表玄関としての岩木山神社と、裏口とされるぐるり反対側の赤倉山神社がある(津軽地方の地図参照)。この赤倉山には、昔からシャーマンがおり、また鬼が棲みついているという伝承もある(シャーマンは、津軽では、カミサマ、ゴミソと呼ばれ、赤倉は、現在でも修行の場とされている)。鬼はとてつもない大男で、大人(おおひと)と呼ばれており、その昔、村の百姓に遊んでもらっては、お礼に鉄の道具で土地を開墾し、沢の水を用水に引いて、村が潤ったという。その村は、鬼沢(おにざわ)と呼ばれ、農具の神として、鬼神社(写真⑤)が建てられている。鬼神社には、博物館に並ぶような鉄の農具(鉄の鋤や鍬など)が額に納められて、拝殿の軒下にずらりと飾られている。鉄の農具がご神体なのである。この集落では、一般家庭や幼稚園でも、節分に豆まきは行わず、豆を食べるだけだという。鬼は忌み嫌う邪悪なものではなかったのである。

④-1弘前市赤倉大神宮
ここは、鳥居ではなく、拝殿の正面に鬼コがあげられている
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⑤-1鬼沢・鬼神社
鬼神社。神社の屋根に鬼の面があげられている
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⑤-2神社の正面
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⑤-3ご神体は、鉄製の鍬とされ、現在も鉄製農具を額に納めて奉納する風習が続いている
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⑤-4向って、左下の軒下
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 さらに、この周辺から鰺ヶ沢にかけて、古代(平安時代後半)の製鉄遺跡が多数見つかっており、鬼伝説と鉄作りに由来する地名が多い(十腰内(とこしない)、湯舟(ゆぶね)、小屋敷(こやしき)(金屋敷のなまったもの)、浮田(うきた)(浮太刀)など。津軽地方の地図参照)。当時、大人と呼ばれた鬼は、農民に友好的な鉄作りの専門集団であり、津軽の地に繁栄をもたらす存在であった。鬼集団は修験者であったのか、渡来人であったのか、どこから来たのかも定かでないが、いずれにしろ、その土地の人達が、他所からやってきた他者と力を合わせることによって、豊かな社会が築かれた。これを伝承のみで終わらせることなく、現在でも、鬼神社の神事は、ほとんど形を変えることなく、脈々と受け継がれている。農村の人達が村をあげて、日常的に信仰を続けているのである。鳥居の鬼コも、この伝承にあやかって、後世の氏子があげたものと思われる。
 単一の価値観にとらわれ、殺伐として排他的にならざるをえない現代社会であるが、津軽の地は、まだよそ者を暖かく迎え入れてくれる風土を感じる。そこには、この鬼伝説のような成り立ちがあるからかもしれない。
 ただ、この鳥居の鬼コは、神社に参る近所の人はよく知っているが、その由来まで知っている人はほとんどいなくなっており、その地域を離れると知らない地元の人も多い。実際、神社そのものが廃れている所もある。地元に住む私達こそ、その地で暮らす人々の生活やルーツを理解し、世代をこえて伝え続ける一端を担う必要があると考える。

引用註:加藤慶司「鳥居の鬼コ」(『津軽学』1号津軽に学ぶ会2005年)115頁