詩と音楽への案内  第一課題 山田彩加

【2011年度 詩と音楽への案内】

サウンド・エデュケーション』 芸術学コース 山田彩加


1:はじめに
 『サウンド・エデュケーション』このような教育があったことをこの本で初めて知った。教育とは受けるものであって、その中で受けてきた音楽の授業とはこのようなものではなかったから、素直に楽しそうだと感じた。更に読み進めるにあたり、私が今回特に興味を持ったのは、64章(p92)のアリストテレスの問いについて書かれた部分であった。

 『環境を知るために自分たちの感覚を実際につかうという習慣こそが古代ギリシャの人々の思考方法の特徴であり、それがまさにこの課題集で私たちがテーマとしていることなのだ』

この言葉を繰り返し考える中で、音楽というものがどのように私たちに芸術として問いかけてくれるものなのかを考え、更にこれからの時代、何が必要であるのかを考えた経緯を以下に書き記したいと思う。また、今回被災した日本において通じるポイントもあった為、この課題を通し今考えることについても併せて考えてみた結果である。

2:耳を働かせる
 現代を生きる私たちはどんな風に耳を働かせているのだろうか。この課題集でいくつか実践してみることで、分かったことは耳を働かせるということは単に“聞く”ことだけではないということであった。音楽を聞いたり、人の話を聞いたりするだけでは耳を働かせていることにはならないのである。気がつけば、起きている間中私たちの周囲には音で溢れている。しかし、それは人工的な音であることが多く、心が静まらないような音ばかりに耳を使っている。東京に住んでいれば、なおの事である。それは果たして、耳を働かせていることになるのだろうか?耳を使って、より良く生きることは可能なのではないだろ
うか?そういった疑問が私の中に生まれたのである。仕事柄、良く舞踏や身体芸術に触れる時、私たち観客はダンサーと共に、同じリズムを体験することが出来る。その時にこそ耳を働かせ、ダンサーの意図する伝えたいことを理解することが出来るのではないだろうか。単に美しいとか綺麗であるとか、そのような抽象的なことではなく、私たちが苦悩を共にした時こそ初めて理解が出来るのである。耳を働かせるということは、自然や事柄に対して、理解をしようという働きの一つであり、それこそが意味を為しているのだと思う。

3:現代の音楽について
 私たちは幸福にも、物質的に恵まれた環境に存在しこうして好きな勉強に日々励み、命の危険を常に感じるような生活環境には居ない。しかし、一方で大切なものを見過ごして生活をしているような空虚感も同居している。自分たちのいる環境をどれだけ理解しているのだろうか。また、そのための努力をどれだけ行っているのだろうか。
 現代の“音楽”といわれるものの多くは商業的意味を持っている。誰の何が何枚売れたとか、コンサートには何人集まったかとかそのようなニュースは日々目にすることが出来る。しかし、本来音楽というものは商業のために行われていたものではないということを忘れてしまっているのではないだろうか。その為に何故自分が存在しているのかを見失いがちな世の中になってきていると感じている。現代の音楽全てを否定するつもりではないが、ただ単に数字的な音楽には興味を持つことが出来ないのはそのせいであると思う。
 歴史をたどれば、音楽にも必ずルーツがありその時代に生まれた理由がある。物理的に飛躍的な発展を遂げた現代ではあるが、本当に良いと感じる、身体が喜ぶような音楽や音に囲まれた生活をしているのだろうか?

4:音楽がもたらす美しい環境
 千住博先生にニューヨークでお会いした時に、美しい音楽が何故美しいのかを話して下さったことがあった。バイオリンやピアノにフルート、それぞれが全く違う音を出す楽器なのに、なぜ紡ぎ出すハーモニーが美しいのか。それはお互い同士が音を聞けば、それは美しい音楽になるからである。それぞれの楽器が好き勝手な音を出していては、美しいハーモニーは生まれない。そう教えて下さったことがあるのだ、ここには大切なヒントが隠されているように思う。何故なら、私たち人間にも同じことが言えると思うからである。自分を理解してもらいたいと思うばかりに、相手の言うことを理解するに至らないことが多い世の中になってきているのではないだろうか。肌の色や生まれた国、信じているものや目に出来るものばかりを信じて相手の言うことに耳を傾けなければ美しい環境など、生まれないと思う。相手の存在の中にこそ自分自身が存在するのであり、そうした調和の中にこそ自身の存在意義があるのだと思う。
 オーケストラにも限らず、自然の中に身を置く事も良いかもしれない。静かな風の音、遠くで鳴く鳥のさえずり、美しい音楽は自然の中にこそあることに気付きながら見過ごしてはいないだろうか。自然には絶妙なバランスで音楽が存在し、私たちはその環境を壊すことではなく、共存していくことを考えなければならない時代にきている。
 本当に美しい環境は、相手の声を聞く耳を持つことで初めて生まれるのである。否定や戦争では何も解決にならない。私たち人間も美しいハーモニーを奏でる力を持っているはずだ。ほんの数100年前まではそうして生きてきたはずだと思うからである。
 その為にアクセサリーが生まれ、舞踏が生まれ、音楽が生まれ日々を繋いできたのだ。いつのまにか、地球が人間のもののように思っているがそれは大きな間違いであると思う。
 
5:おわりに
 私たちの周りには常に音楽や音が存在している。それは、決して良いと感じるものばかりではないのが現実である。しかしそれは、自分たちの耳を聞く心を変化させれば環境は変わるのではないだろうか?外からのデザインばかりではなく、音楽を使用した内側からのデザインを考えることで私たちの環境はより美しく変化すると思う。本来音楽は祈りを捧げるためであったり、何かを知らせるものであったり、乗り越えるためのものであったり、その意味は様々であったにしても“生きる”ということにもっと密着していたのではないだろうか。その共通点は人間の感覚を最大限に使用したものであった。現代の私たちはその素晴らしい機能を失いつつある。そのために、各地で戦争や奪い合いがこうしている今でも世界中のど
こかで起こり続けている。こんな地球にしたくて、神様は地球や人間を作ったのだとは思えない。今こそ感覚を研ぎすまし、自分たちの今いる環境に耳を傾けて美しい環境を繋いでいくことに全力を注ぐべき時代に差し掛かっているのではないだろうか。
 音楽が私たちにもたらす力は万国共通で美しい環境を創り出すことが出来るかもしれない。それはこの書籍を通読し私が素直に思った感想であり、最初に挙げた言葉を理解するに努めた経緯の中で今のところの理解である。(2844文字)
 


参考文献: R・マリー・シェーファー著『サウンド・エデュケーション』春秋社
    1992年4月20日 第1刷発行
    1994年6月20日 第2刷発行