手塚治虫がマンガ文化に与えた「地獄的なもの」

【2011年度 日本文化論 第1課題】

ブラック・ジャック』にみる手塚治虫がマンガ文化に与えた「地獄的なもの」に関する考察 ----- ランドスケープデザインコース 巽 健次




■「地獄的なもの」の意味
 梅原猛著『地獄の思想』を題材に「地獄的なもの」について考察する。まずは著者が定義する「地獄的なもの」とはどのようなものかを考えてみたい。
 地獄的発想とは一般的に、生前に悪行を行った人間は死後に地獄へとたどり着き、さまざまな罰を受け続けることと理解されている。著書ではこの地獄的発想は源信によって天台思想に結びつけられたとしている。
 それ以前の仏教、釈迦が説いたとする考えにおいては地獄的発想は結びつけられていなかった。四苦八苦というさまざまな苦悩は欲望によって生じ、その欲望を滅ぼす正しい方法を説く思想であった。それより時代が下って源信の時代になると、釈迦の思想を発展させ、世界は十界互具という概念を誕生させる。つまりこの世は苦であり、地獄の世界であるとした。仏教と地獄思想の融合である。そしてこの世を逃れて極楽浄土へと誘うための阿弥陀仏信仰を体系させた天台宗が誕生する。
 源信が活動した時代は飢餓や飢饉が蔓延していた時代で、当時の時代背景とひとびとの望みに応えることが教義に大きく影響したであろう。天台宗と地獄思想が融合したのは源信の解釈と尽力によるのに加え、時代背景や社会現象の影響によるところも大きいだろう。この天台思想と後年誕生する極楽思想を合わせ持った浄土思想が展開することで、日本的ともいえる日本独自の思想や文化を発生させる要因となったと著書では示されている。
 著者が説く「地獄的なもの」の意味を読み説くと、人間に道徳恐怖を吹き込む概念だとしている。「地獄的なもの」を提示することによって暗さや苦の教え、人生の無常、生の不浄を説明する。それらを凝視することで、人は自己反省を促される。これにより人間の魂は豊かなものとなり、暗いニヒリズムにも耐えられる生命の強さを育むこととなる。「地獄的なもの」は暗い生の面を直視できる生の勇気、明るいことを見いだす苦の教えであり、苦悩をみる眼を与えて人間を見る眼を深くさせる。この一連の活動が大きな影響を及ぼし、日本文化は健全な豊かな色彩を放つに至ったとしている。世俗の価値とは別の価値観で生きることを教えたともいえ、他の国では見られない精錬された日本独自の思想や文化に深みを与えた必要不可欠な要素であるともいえるであろう。

■マンガ文化を創出した手塚治虫
 著者の考えを踏まえたうえで新たな地獄的な現象を考えてみたい。そこで本レポートでは手塚治虫に注目する。
 手塚治虫は誰もが認める日本のマンガ文化の礎を築いた人物である。また世界に類のない今日のマンガ文化が日本で成立したのは手塚の存在があったからといっても過言でない。
それまでのマンガとは一線を画する活き活きとした描写表現で手塚治虫作品は多くの人を魅了した。手塚の出現によって今日の日本マンガの表現手法が確立したともいえるだろう。また画風だけでなく、ストーリーにおいても大きな影響を与える。生命や生きる喜びなどを題材とした人間の根元的なテーマ、重厚で壮大なストーリーを作品で展開させた。それまでのマンガといえば滑稽な内容や風刺といったものが大半であったが、手塚作品によってマンガはひとつの総合美術として昇華され、完成させられたといえる。
 現在日本製マンガは世界へと発信され、多くのファンを魅了し影響を与えるひとつの文化となった。その魅力はマンガに込められた文化的精神や哲学的な意味のように思われる。これは「地獄的なもの」ではないだろうか?マンガ文化の基本となった手塚治虫の思想や表現に「地獄的なもの」を見い出せられるのかもしれない。

■『ブラック・ジャック』にみる地獄的なもの
 手塚作品には『ブッダ』や『火の鳥』など仏教観を題材にした作品もあるが、ここでは『ブラック・ジャック』を取り上げたい。連載当時、手塚治虫は業界で既に巨匠的な存在となっており、ひいては世間に古いマンガ家として認識されている感があった。そのため本作は彼がマンガ家生命の起死回生を狙って渾身の想いを込めつつ、医学生であった自身を主人公に投影させたといわれている。そのため作品からは手塚治虫が考える思想や感情が伺い知れ、「地獄的なもの」が垣間見られる。
 『ブラック・ジャック』は天才的な外科技術を持ちながら、法外な治療費をとるブラック・ジャックという無免許外科医の物語である。あらゆる病気や怪我を治しながら、患者とブラック・ジャックによってさまざまな人間模様が繰り広げられ、生きる意味や生命の尊厳についての物語が展開する。
 ブラック・ジャックに依頼をする患者はさまざまである。金にものをいわせて治療を依頼するもの、治療費が払えず自分の命をかけて愛する人の治療を願うもの等々。いずれにしても難病を前に、患者は欲をむき出しにしてブラック・ジャックに頼んで完治を希望し生きることを願う。ときにはその欲が醜い人間の負の部分をさらけ出す。他人を押しのけて治療を乞う自分勝手な浅ましさや自暴自棄となって命を粗末にする愚かさなどが現れる。ブラック・ジャックは素直に治療することもあれば、どんなに大金を提示されても拒否することもある。病気が完治することもあれば一生その病とつき合うこととなるが、ブラック・ジャックの対応によって患者の心の中には変化が生まれ、そして何かが残る。それはキャラクターの心の中に潜む「地獄的なもの」ではないだろうか?
 死は自然なものとしてとらえられる。人の死は誰にでも与えられるものであり、避けては通れない現象である。死までの限られた時間のなかでどう生きるのか?必死にもがきながらも、精一杯生き抜くことに人生の素晴らしさ、生命の尊さがあるというテーマが『ブラック・ジャック』に秘められている。登場するキャラクターは欲にまみれた行動、愛を育もうとする営み、喜怒哀楽、憎しみなどすべての感情を沸き立たせ、ブラック・ジャックを通じて人間の負の部分「地獄的なもの」を知らされる。美しい面があればその反動で醜いものも存在させることで人間は振り子のごとくバランスを保つ。そして大きく動きバランスを保つことに美しさがある。欲のため狭くなった視野を広げて、そのバランスを全体俯瞰させて美しさを感じさせる役目をブラック・ジャックが担っているのである。
 またこの作品の読者も第三者の立場として「地獄的なもの」をストーリー展開を通じて感じることになる。いわば「地獄的なもの」を巡っての二重・三重構造の仕掛けがあるといえるだろう。この特殊な構造は『ブラック・ジャック』という作品が手塚治虫自身が「地獄的なもの」について仮想体験した体験談であり、彼自身が考える「地獄的なもの」の解釈説明書だからではないだろうか。それだけ手塚治虫自身の考えが色濃く反映されている証明だろう。

手塚治虫の「地獄的なもの」による影響

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 『ブラック・ジャック』の作品中に次のようなセリフがある。
「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんね・・・」※
 ブラック・ジャックを育てた医者が彼にかけた言葉であるが、手塚治虫が作品を通じて伝えようとした思いがそのままこのセリフとして発信されたといえる。どうしても避けることのできない死は死として受け止め、医者も患者も生きることに注力する。「地獄的なもの」を通じて生命の豊かさや素晴らしさを体験することが大事ではないかと主張しているかに思える。マンガというものを通じて「地獄的なもの」を紹介し、あらゆる欲やキャラクターの行動を見せることによって、より豊かな人生を感じさせ、より良い人間の活動を目指すことを提案しているように思えてならない。
 このような手塚治虫の功績があって、普遍的で老若男女に受け入れられるテーマを兼ね備えたマンガが誕生した。このスタイルが日本製マンガの基本となった。今日のマンガ文化の発展は手塚治虫の示した「地獄的なもの」があったからこそ成り立ったのではないだろうか。手塚治虫が示した「地獄的なもの」は形は変えつつも、マンガ文化を通じて豊かな日本独自の文化のひとつとして提示され、読者の人生を豊かにする一助を担い続けるに違いない。

以上


<参照>
※:手塚治虫手塚治虫漫画全集151ブラック・ジャック①』九〇ページ、第4話「ときには真珠のように」より。

<参考文献>
手塚治虫手塚治虫漫画全集151ブラック・ジャック①』講談社、一九七七年七月十五日第一刷出版
手塚治虫『ぼくのマンガ人生』岩波新書、一九九七年五月二〇日第一刷発行
・今川清史『空を越えて−手塚治虫伝』創元社、一九九六年十一月二〇日第一刷第一刷発行
・『芸術新潮2008年11月号 特集生誕80周年記念手塚治虫を知るためのQ&A』新潮社、二〇〇八年十一月一日第一刷発行