2008年11月26日 江後町のサロンに行ってきました

2008年11月27日 黒田村江後町のサロンに行ってきました


この時はいろいろと準備不足で、また五ヶ月ぶりに行かせてもらったということもあって、新しく加わってくれた学生二人を案内して、どんなことをしているのかを知ってもらうということを趣旨にしていました。
村の方々いつも親切に応対していただいて、とてもありがたく思っています。

この時もいろいろの話をうかがった。はじめは「馬喰」の話から。大西さんという山国の方が馬喰をしていて、黒田の牛の需要をほとんどひとりでまかなっていたらしい。
他に京都市内の草木(くさぎ)さんという人から牛を引いてきてもらったひともいるようだ。これは皆のあまり知らなかった話。
牛に鼻木(はなぎ)を通すために火箸を使ったということ。

山の下刈りも女がした。二人で三四束から運ぶ。中食の話。弁当を作るのも当然女の仕事。


三十三年前の1975年に、高校生のとき、自転車で弓削からの帰り道に、井戸(山国の東端の町)のあたりでオオカミを見た人がいるという。「そんなに危ない気はしなかった」と言っていたそうだ。
それから獣の話がつづく。
三年前に家の庭の大きな渋柿に、熊が来て食べていった話。家まで入ったら電話する。そして駆除してもらう。
美山(みやま町)では猿をとってもよいことになっていたそうだ。
小林さんは猿を獲った、という話。

川でとれるアユやゴリは貴船の平八に卸していた。

筏の話なら江後シゲイチ(繁一?)さんに聞いたらいいということ。
ケイコさんのお祖父さんが筏を流していて、八木の大橋まで行って、上から声を掛けると、お祖父さんは手をあげて合図をしてくれたそうだ。

シゲイチさんは体術にすぐれていて、柿の木の高いところまでよく登る。枝に体をくくりつけながら登るのだそうだ。そうして一つだけ実を残して、あとは全部取ってしまうのだという。「折れやすい」ということを「さくい」と言う。

それから台風と大水の話。この話は昨日(2009年5月28日)により詳しく聞いてきた。


この時は録音機を忘れていたので、後で聞いて話の内容を確認することができない。ノートのメモと、おぼろげな記憶だけで書いているので、訂正しなければならないところが出てくるかもしれない。わかったらその時に訂正する。


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終了後、そろって写真を撮らせてもらった。学生二人もはいっている。

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「サロン」で話を聞いた後、学生二人と、村の人の話によく話に出てくる稲荷山に登った。上り口がかなり急だ。上がったところに鐘楼がらしき跡があった。以前は鐘があったが、戦争で供出して、その後京北に運ばれたまま終戦になるが、その鐘は戻ってこなかった、という。

その少し開けた空間の少し先のところから鳥居が連なっている。


そのあたりに由緒標がある。なかなか立派なものだ。文字で書き残そうとすることには、志が要る。
このあたりを散策の場所にしたいという希望があるようだ。


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正一位黒田八十八稲荷大明神」の由緒書標


その先へ100mほど歩くと稲荷の祠がある。

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木を組み、樹脂の浪板張って雨よけがしてある。


学生たちとその稲荷の祠のところから更に奥の方に登って行く。
更に行くとその道の端まで出る。
どちらの方角なのかはっきりしないが、岬になったこの山の先端のところに出たのではないかと思う。
下に蛇行する桂川が見える。

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山の形から、いずれどこに出たのか確かめたい。


[了]