京都鬼剣舞 一言主神社で舞を奉納



京都鬼剣舞 一言主神社で舞を奉納

岩手県北上市の岩崎鬼剣舞を伝える京都鬼剣舞では、12月22日奈良県葛城山麓の一言主神社で舞を奉納してきました。

なぜ鬼剣舞一言主神社に奉納するのか? 「岩崎伝 京都鬼剣舞」の庭元、伊東睦子さんは、次のように説明してくれます。

「岩崎鬼剣舞に伝わっている巻き物か何かに、剣舞は役の行者が踊り始めたと書いてあるそうです。一言主神社は役の行者が生まれ育った神社です。そこの神官の子供で、大人になってしばらくはそこで神官をしていたそうです。そこから修業の旅に出たということです。
 それから、もう一つの説は、一言主の神さまが役の行者の弟子で、修業が成就した喜びの舞を踊ったものが剣舞だという説です。それを裏付ける古文書がみつかったと、5年前の2002年9月15日の岩崎鬼剣舞の奉納のとき、門屋さんが説明してはりました。
 岩崎鬼剣舞が奉納をしたのは、一言主の前宮司さんが岩手まで訪ねていって、その後10年がかりで剣舞衆が積み立てしたと聞いています。
 京都鬼剣舞が奉納を始めたのは、2002年12月の冬至からで、今年で6回目になります。一言主のお祭りが9月15日に始まり冬至で終わるので、その最後のしめくくりの日になります。岩崎鬼剣舞が遠くて毎年は来られないので、弟子剣舞が務めさせていただいているわけです。」

 鬼剣舞役行者に由来する(繋がる)舞だという伝承が存在しているのですね。それによって再び遠く離れた二つの地、そして京都がつながっているのです。伝承のもつ生みだす力=詩的な力がここで、この奉納の舞で、如実に形を取っているのです。



奉納は、まずは「歌上げ」から(写真2)。



続いて「一人加護」の舞いの奉納(写真1、3-5)。




この日は雨のため、庭先ではなく、拝殿で奉納することになりました。
そこで岩崎の庭元の指示を仰ぎ、まず全員で「歌上げ」をして、それから「一人加護」の奉納をすることになりました。
激しく力強い舞が奉納されました。写真からもその激しさ、力強さが感じとれると思います。

私の印象では、この「一人加護」という演目は、自分一人だけでも、襲ってくる外敵を倒し、村を護りぬくという気概と気迫を示すものです。村の人々に対するやさしさと、同時に断固として外敵と戦う力強さが要求されると思います。


神社では冬至のこの日、一陽来復を願って氏子らの献燈が行なわれます。境内の美しい雰囲気に心が安らぎます。

この剣舞の奉納、翌日の朝日新聞奈良版のニュースに取り上げられました。




                          (レポート: 京都鬼剣舞新入メンバー 中路正恒