「何もない場所」 (新潟 尾崎美幸さんの報告3)


「何もない場所」


今回はこのブログのコンセプトである「詩的な場所」に対し、私なりに精神的な部分で解釈し、自分にとっての「詩的な場所」をレポートしようと思います。

場所は新潟市西区四ツ郷屋にある、四ツ郷屋浜です。
日本海を望むこの浜はこれと言った特徴の無い普通の浜辺です。例えば「日本海の夕日が見られる有名な旅館」があるとか、珍しい魚が釣れるとか、絶景の岩場があるとかそういった事の無いという意味です。

春は軽くかすんだ空気の中で穏やかな波を見せてくれ、夏はサーファーや海水浴客でごった返し、秋は徐々に高くなっていく波と枯れ始めたススキが優しく凪ぎ、冬は高波と「地の果てか」と思わせる殺風景極まりない浜の様相を見せてくれます。

この浜の近くに「新潟国際情報大学」があります。近くと言っても、浜から車で15分ほどの距離の所ですが。大学生の頃、この大学に通っていた私はその頃からこの浜辺に通っていました。

通い初めの頃は、若者特有の「なんとなく」という気分で海を眺めていたように思います。持て余す時間を消費するためと、日々の経費節約ために。(海を眺めるのは無料ですから。)

しかしそれから何度か通うと、海にも様々な表情がある事に気付きました。


波の高さや広がり具合、水面に太陽光が反射する様子、浜辺の漂着物、それらが季節によって違う事。打ち寄せた波が砂浜にじっくり染み込んでいく様子が綺麗な事。人や犬や鳥やタイヤの跡など、砂浜には意外と「足跡」が多い事。中でも不思議なのが、気泡のような穴が、砂浜に無数の小さな穴を開けている様子です。この穴の近くに1歩踏み出すと、そこにまた多くの小さな穴が出来ます。その様子が気持ち悪くもあり、愉快でもあり。
また、浜辺を挟んで陸側にススキが多く植わってる所があります。このススキの太陽光を通して凪ぐ様子がとても美しい。





そういう景色の中で、もう7年近く写真を撮り続けています。
多くの表情を持ちながら、いつも色んな存在を受け入れてくれるこの浜辺は(大げさかもしれませんが)生き物と同じ体温を持っているように感じます。だから、もっと色んな表情を見たくなるし、ここに帰って来たくなる。泣きたくても笑いたくてもホッとしたくても、とりあえずこの海へ足が向きます。

私にとっての「詩的な場所」とは、一見何も無い様に見えながら「体温」と「表情」がある、生き物のような精神性を感じるこの浜辺です。